『カレーライスの誕生』(2013.5.19 tanakomo)
カレーの本です。
でも、料理の本ではありません。
あなたも私も大好きなカレー、大人も子供も大好きなカレー!!
なぜ日本でこんなにもカレーが愛されているのか??
この本は、カレーがいかにして日本人の国民食となったのか、その経緯とルーツを記したものです。
日本の近代化、明治の風俗、そして重要なファクターのひとつとして札幌農学校が出てくる、ということでまずこの本を手にとったわけですが、非常におもしろかったです。
カレーそのものにも興味はありましたが、そのカレーがどんなふうに日本でメジャーになっていったのか、そのあたりの経緯にも興味深い部分があります。
おなじみのハウスやS&Bヱスビー食品のことも出てきます。名古屋人なら馴染みのあるオリエンタルもね。
少々、裏表紙から引用します。
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インドに生まれ、イギリスを経て、近代黎明期の幕末日本に西洋料理として入ってきたカレー。いまや「国民食」となったカレーの受容と変容は、近代における西洋文明の受容と、日本風アレンジの歴史そのものだった。多岐にわたる資料を渉猟して、日本のカレーの歴史と謎を解明し、そこに秘められた人々の知恵と苦闘のドラマを描いた、異色の食文化史。
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おもしろそうでしょ。
イギリスがインドを植民地にしている時代に、エドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルの2人が、インドの香辛料の集合体を商品、つまりカレー粉としてイギリスで売り出し、それが明治日本にやってきたのですね。
ちなみに、初めて商品としてカレー粉を売り出したその会社は、クロスとブラックウェル、2人の名前をとって、C&B社といいます。(日本のS&B社という名前はここからきた?)
そして横浜で有名になり、札幌農学校では学校食となります。
ちなみに、カレーにタマネギとじゃがいもと人参が入っているのは、日本のカレーの特色です。
明治期に、寒冷で痩せている土地でもとれる作物として日本、特に北海道で積極的に栽培され始めたタマネギやじゃがいもそして人参をカレーに入れるのがメジャーになったのは、海外からの作物を積極的に日本に紹介し、料理に入れるよう奨励した札幌農学校の功績でもあります。じゃがいもとタマネギといえば北海道かなというイメージがありますが、実は人参の出荷量も現在北海道がトップらしいです(全国生産の30%)。
余談ですが、札幌農学校は農業の学校でしたが、その教育水準は現在の大学レベルであり(物理・数学・化学など)、授業や図書館の本はすべて英語でした。(ああ、もっと札幌農学校についても語りたいですが、我慢・・)
そして、東京のレストランでも提供されるようになり、徐々にメジャーになっていきます。帝国ホテルのレストラン、上野精養軒、銀座の煉瓦亭、神田の松栄亭、そして凮月堂などなどです。夏目漱石も精養軒でカレーを食べてたらしいです。
正岡子規もカレーが大好きだったらしい、病床でも取り寄せで食べてたそうです。
さらに昭和に入ると、あの新宿中村屋が(カレーパンも有名)、そして資生堂パーラーが高級カレーを提供し始めます。
関西のことも書いておくと、阪急百貨店の、いわゆるデパートの食堂(フナツが幼い頃まではデパートの食堂というのは庶民にとってハレの場所でした)では、なんとカレーが一日に「一万三千食」も出たらしいです、すごいね。
さらにカレーの普及に一役買ったのが軍隊(誰が作ってもそこそこおいしい、キャンプの食事の定番ですよね)。軍隊でその味を覚えた若者が郷里へ持って帰ったという側面もあります。
少々お固い内容の本が多い「講談社学術文庫」ですが、この本は読みやすいと思います。
そういえば、今日のお昼もカレーだった。