英語いろいろ①

ここでは英語に関するいろいろなトピックを紹介していきたいと思います。

 

フナツはけっこう英語の歌を訳すことが好きで、歌詞の意味がわかるともっとその歌が好きになるってありますよね。

 

他にも英語関係で読んで面白いサイトとかをご紹介します。

 

 

 

 

 


「子供たちよ、英語のまえに国語を勉強せよ」

(2014.6.12 tanakomo)

 

ウチダセンセイの国語論、英語教育論です。

決して単純に英語よりも日本語だ、とおっしゃっているわけではありません。折々にウチダセンセイが書かれていたエッセンスが散りばめられている文章です。

学生諸君、そしてビジネスマンの方々へ、
一読、損はありません。ぜひ!!

フナツの英語や音声学・言語学の授業に出たことのあるみなさんにはお馴染みかもしれませんが、フナツは全面的にこの意見に賛成です。

最近はビジネス講座でも、グローバル化と言語、といったトピックでこのようなことを話しています。

 

 

 

 


訳し方いろいろ(2013.4.23 tanakomo)

 

先日のアップ(4.21空海の言葉英語版)で、英語で読んだほうがわかりやすい、でもシンプルすぎるのも・・・ということを書きました。それについて学生から質問があったのでちょっと書きます。

たとえば以下の文章を訳してみてください。

The color of these flowers will soon change.

「花の色はすぐに変化するでしょう」なんて訳す人が多いと思います。

フナツは、日本人がよくやる、あまりにも直訳で、そんなふうには普段言わないだろ?っていう日本語訳のことを「教科書的日本語」と読んでいますが、どちらかというとそんな訳ですね。

もちろん、間違いではないですよ、場合によっては正解かもしれません。

しかし、状況によっては「花の色はすぐに変わる」くらいのこなれた日本語のほうがいいかもしれません。(ちなみに、未来のwillを「でしょう」と訳すと教えられた人が多いかもしれませんが、日本語で「でしょう」は未来ではないです。「僕は明日学校へ行く」でも立派に未来を表しています)

そして、少々格言的なニュアンスであれば「咲き誇っているあの花もすぐに枯れてしまうのだ」などといった意訳でもおもしろいと思います。

このあたりが翻訳の妙味というところですが、さて、本題に戻ります。

上記の英文を読んでフナツが思ったのは、古今和歌集、小野小町の有名な和歌の上の句です。

「花の色はうつりにけるないたづらに」

たぶんこの部分の英訳としても特に間違いではないと思います。このほうがわかりやすくていいねと思う人もいるかもしれません。

しかし、古典において「花」といえばまず「桜」の意味です。
さらに、下の句「わが身世にふるながめせしまに」まで読めば、「降る」雨と、「経る」(「ふる」時が経つの意)の掛詞があって、単に花の命が短いだけの意味ではなく、自分の容色の衰えを歎くところまで花に託している歌だということがわかります。

そうすると、先の英文はやはりシンプルすぎるなぁと。

加えて、ほんとうの主語は花ではなく、以前は美しかった「私」なわけですから、そういう意味も入れたいな、なんて考えてしまいます。

まあ、あまり質問の答えにはなっていないかもしれませんが、いろいろ考えると、わかりやすさだけでもいけないし、また難しくなってもいけないし・・・。

そして、原文のニュアンスをいかに損なわずに英訳できるかってけっこう難しくて、そこが翻訳のおもしろさでもある、まあ、そんなことが言いたかったのです。

 

 

 

 

 2013421にアップした記事(tanakomo)です。

 

(たぶん)高野山総本山が発行している「空海の言葉」の英訳です。

A4の4分の1のA6版で、おまけに80ページしかないホント小冊子で¥1500と、少々「うーん」と考えてしまうような値段でしたが、おもしろそうなので買っちゃいました。

非常にシンプルな英語に翻訳されているので、英語で読んだほうが日本語よりよくわかる、なんかそんな気になってしまいます。(ちょっとシンプルすぎるきらいはありますが・・)

有名な言葉をちょっと引用してみますので、読んでいただいて、みなさんなりに空海の言葉、そして英語での表現を味わってみてください。

三密

言うところの三密とは、
一に身密とは契印を結んで
聖衆を召請するが如き、これなり。
二に語密とは密かに真言を誦じて
文句をして了了分明ならしめて
誤謬なきが如きなり。
三は意密とは瑜伽に住して
白浄月の円満に相応し、
菩提心を観ずるが如きなり。(秘蔵宝鑰)

Sanmitsu (Three Secrets)

In Esoteric Buddhism, there are practices known as the Three Secrets.

The first is Body Practice, that is, to make symbolic signs using the fingers to be one with the holy Buddhist saints.

The second is Speech Practice, or to read the mantras aloud to clarify and absorb their meaning with unerring precision.

The third is Mind Practice, or to bring the self and the pure white full moon together through yoga meditation. These are the methods that a mind aspiring to enlightenment should employ.

最後のページには “Translator, Editor, Designer and Publisher NOBUHIRO TAMURA”とあり、発行は今年のお正月、初めての英日対訳バーションと書かれています。

お一人で全部やられたのでしょうね。

合掌

 

 

 

 


おもしろかった記事をひとつ(2013.4.21 tanakomo)


週刊現代 4/27 50ページ
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大研究 ユニクロ・楽天ほかで急増中!
<「英語ができて、仕事ができない」若手社員たち>
なぜ日本の企業はこんな採用をしているのか

就活が本格化すると、こぞってTOEICの教材を買い込む学生たち。日本の歴史や文化をよく知らないまま、英語ができるだけの「グローバル人材」となった若者たちに、仕事ができるわけじゃない
***

グローバル人材が欲しい!という企業が増え、そして、グローバル人材とは英語が話せる人間だ、と勘違いしている人・企業が多くなれば、そりゃこういうことも起きるよね、って感じです。

英語ができて、でも仕事ができない若手社員の実例がこれでもかと紹介されていて、読んでいて、「ホントにいるのかよ?こんな常識はずれなヤツ!」とか、「あー、いるよな、こんなヤツ」って感じでおもしろかったです。

さらに、取材した記者及びこういう雑誌を読んでいる中年のオッサンたちが、これを読みながら「溜飲が下がる」思いをしてるんだろうな、というのも想像できます。

どちらにせよ、ちょっと悲しい風景です。
あーあ、どれだけ英語に苦労すりゃいいんだこの国は・・・。

きれいさっぱりと、「オレ(アタシ)には英語なんか必要ない」と英語に背を向ける人が増えますように・・。それがフナツの切なる願いです。

そしたらきっと、もっと真剣に英語を勉強する人と、そういう人のためにちゃんと英語を教える人間と施設が残る(増える)ような気がするんです。

学生諸君、そして昨今の風潮を受けて、「ひょっとしたら英語やったほうがいいのかなー」と考えている人たちへ。

「英語を勉強する」というのをやめよう!!

英語「も」勉強する、が正しいとフナツは思います。
英語よりも大切なこと、勉強すべきことが人生にはたくさんある、とフナツは思います。

 

 

 

 


日本の英語教育に関するウチダ先生のご意見です。

 

これはウチダ先生の著書『逆立ち日本論』に関するブログでの書き込みの続きです。

 

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英語教育に関しても内田さんの舌鋒は鋭いのです。もうほんとフナツも常々考えていることなのでウンウンと一人でうなずいてました。ちょっと引用を。

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 日本の英語教育を会話のオーラル中心にするのは、あれはね、あきらかに植民地主義の陰謀ですよ。欧米語はどれも同じすけど、「まずオーラルをやれ」というのは植民地支配の原則です。だって、植民地の子どもたちに文法や作文を教えて、古典なんか読ませてしまうと、宗主国から来た先生も読んでないようなむずかしい本を読んだり、先生より立派な文章を書く子どもがすぐに出てきてしまうから。
 でも、会話をやっている限りは、ネイティブスピーカーの教師の知的優位は構造的に揺るがない。植民地の子どもがどれほど堂々たるスピーチをしても、途中で遮って、「その発音は違うよ」とか「そういう言い方はしないんだな」といって子どもを高みから査定することができる。オーラル中心でやっている限り、宗主国と植民地の知的な位階差は絶対に埋められないんです。
 だから、英語教育をオーラル中心にやるというのは、日米間の知的、権力的な非対称性を維持することに同意するということです。アメリカのイーブンパートナーになるという意欲がはじめからないということです。だから、ぼくは「オーラルより文法をやれ」「英語は読み書きできれば十分じゃないか」と言っているのですが、誰も聞いてくれない(笑)。

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日本語教育関連の人は、英語教育を日本語教育に置き換えてウラ読みしてもいい。

ほんと内田さんの博覧強記もすごいですが、その内田さんが養老さんを「師」と仰いでいるのです。そんな二人の対談をこの本で楽しんでください。

 

 

 

 


スティーブ・ジョブズの有名な言葉

 

社内で人材を自分のチームにひっぱるときの言葉だったそうです。

 

海軍になるくらいなら、海賊になろう

It's more fun to be a pirate than to join the Navy.

Why join the Navy . . . if you can be a pirate?    

 

 

 

 


ある有名な歌の英語ヴァージョンです。

 

興味のある方はぜひ訳してみてください。

 

Can't get no sleep tonight
It's all because of you
Even though I was withyou
And we just said good night

cheeks are burning red for you
Heart is beating fast for you

At last at last ohh…

It is my first kiss chu
kiss with you
I will give you all my love
Why is it I feel this sweat and tender
Oh…I don't know why
It is my first kiss chu
kiss with you
I will give you all my love
Yes I know it's strange for a man to cry
Can't hold back
Be in love with you

And when we meet again
I know just where we'll go
All my dreams of tomorrow
Can't help but to grow and grow

All this love I give to you
Give eternally to you

For sure for sure
ohh…

It is my first kiss chu
Kiss with you 
I will give you all my love
Why is it I feel this sweat and tender
Oh…I don't know why
It is my first kiss chu
Kiss with you
I will give you all my love
Yes I know it's strange for a man to cry
Can't hold back
Be in love with you

It is my first kiss chu
kiss with you
I will give you all my love
Why is it I feel this sweat and tender
Oh…I don't know why
Hajimete no chu
Kiss with you
I will give you all my love
Yes I know it's strange for a man to cry
Can't hold back
Be in love with you

 

 

 

 


スティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学での講演です。

tanakomoに2012年1月18日にアップしたものを、再度11月24日にアップしたものです。(フナツの英語の授業に出た人ならお馴染み)

 

***

以下は、ここで1月18日にアップした記事ですが、リクエストがあったので、再アップします。

*****
いろんなところの英語の授業でスティーブ・ジョブズのスピーチの読解やってます。「これから3つの話をします」ってやつです。以前ここでもその一節をアップしましたが、インターネットにアップされている翻訳がちょっと読みにくいので、全文を読みやすく訳してみました。
訳しながらとても楽しく読めました。こんなおもしろい話はみなさんにも読んでほしい(とフナツが勝手に思った)ので、3つの話をひとつずつ原文と日本語訳の両方を毎週アップしていきます。ぜひ、日本語訳だけでも読んでみてください。(もちろん、誤訳・間違い等あればすべてフナツの責任です)
では、

***
スタンフォード大学通信、2005年6月14日

「自分がとても愛することができるものを見つけることだ」とジョブズは言った。

以下は、2005年6月12日にアップルコンピュータとピクサーアニメーションのCEOであるスティーブ・ジョブズ氏が行ったスピーチの原稿である。

本日、みなさんが世界で最も素晴らしい大学の一つを卒業する場に同席できることを光栄に思います。私は大学を卒業していません。だから、本当のところ、こうやってお話できるのは私にとっては大学を卒業することに近い体験です。今日はみなさんに私の人生における3つのことをお話ししたいと思います。それだけです。たいしたことじゃない。ほんの3つです。

最初の話は「点と点をつなぐ」ということです。

私は最初の6ヶ月でリードカレッジを中退しました。しかしそれから約18ヶ月の間、完全に辞めてしまうまで、未登録の学生として大学に通っていました。なぜ私は大学を辞めたのか、それをお話しするには私が生まれた時までさかのぼらないといけません。私の産みの母親は、若く、未婚の大学院生で、生まれてくる子どもは養子に出すと決心していました。彼女は、私が大学卒の親に養育されるべきだと強く思っていたので、私が生まれるとすぐに弁護士とその妻のところに養子に出されることがすでに決まっていたのです。私が生まれたとき、彼らが土壇場になってやっぱり女の子が欲しいと言い出したことをのぞいては。だから、ウェイティングリストで(養子の)順番待ちをしていた私の両親は、真夜中にこんなふうに尋ねられたのです。「養子を断られた男の子がいます、その子が欲しいですか?」彼らは「もちろん」と答えました。(しかし)私の産みの母は後日、母親が大学を卒業していないこと、そして父親が高校も卒業していないことに気づき、養子縁組の書類にサインすることを拒んだのです。彼女は、数ヶ月後私を将来大学へ行かせることを私の両親が約束してそこでようやく態度を軟化させました。

そして17年の後、私はほんとうに大学へ行ったのですが、うっかりほとんどスタンフォードと同じくらい学費の高い学校を選んでしまって、ごく一般的な労働者である私の両親の蓄えのほぼすべてが学費のために費やされてしまったのです。6ヶ月後、私はほとんどその学校に価値を見いだせなくなっていました。私は自分が何をしたいのかわからなくなってしまい、学校が私のやりたいことに対して役に立つのかもさっぱりわからなくなってしまったのです。さらに、その頃私は両親の蓄えのすべてを使ってしまったことを知ったのです。だから、学校を辞めようと思い、なんとかなるさと信じることにしたのです。当時は不安でいっぱいでした。でも振り返るとそれは私がした決断の中でも最良のものの一つだったことがわかりました。学校を辞めようと思ったとき、私は興味のなかった必須科目に出席するのをやめて、おもしろそうな授業に未登録で出席することにしたのです。

それは決してバラ色の生活というわけにはいきませんでした。寮の部屋もなかったので友達の部屋の床に寝て、コーラ瓶の回収で一本あたり5セントもらいそれを食費にあて、毎週日曜日の夜に7マイルの道を町まで歩き、(ハーレ)クリシュナ寺院で週に一度おいしい食事にありついたものでした。(でも)私はそういった生活を愛していました。私が好奇心や本能に従ってあちこちとぶつかったもののほとんどは、後にかけがえのないものへとなっていったのです。ひとつ例を挙げてみましょう。

リードカレッジでは、当時たぶん我が国で最高のカリグラフィー(字体にデザイン的要素が含まれたもの)教育がなされていました。キャンパス中のすべてのポスター、すべての引き出しのラベルが美しくデザインされた手書きの文字で書かれていたのです。学校をドロップアウトしていたので通常のクラスをとる必要がなく、カリグラフィーのことを学ぶべく講座をとることを決めたのです。私はそこでセリフ(セリフ活字、Mなどの上下端の細い飾りがある)やサンセリフ(飾りがないもの)の書体について学び、異なった文字のコンビネーションの間のスペースの変化や、印刷の体裁が優れているとどんなふうに素晴らしいのかを学びました。それは、科学がとらえることのできないような、美しく、歴史があり、芸術的な繊細さでした。私はそれに魅了されてしまったのです。

これらのどれもが私の人生に実践的な応用のきくようなものではなかったのですが、10年後、私たちが初めてマッキントッシュのコンピュータをデザインする際に私の中に蘇ってきたのです。私たちはマックの中にそれを織り込んだのです。それは美しい書体で表現される最初のコンピュータでした。もし私がカレッジの最初の時点でドロップアウトしていなかったら、マックは複数の字体を持っていなかっただろうし、端正な文字の字体や大きさなども備えていなかったでしょう。そしてウィンドウズはマックのコピーですから、そのようなパソコンは存在し得なかったということになります。私がカレッジをドロップアウトしていなかったら、カリグラフィーの講座も受講していないし、パソコンは現在あるような美しい書体も持っていなかったはずです。もちろん、私がカレッジにいたときに未来を見越して点をつなぐことなんかできません。しかし10年後に振り返ったとき、それはとてもとても明白に見えてきたのです。

繰り返します、あなたがたは未来へ向けて点をつなぐことはできません。過去を振り返ってつなぐことができるだけなのです。だからあなたがたは点が何かしらあなたがたの未来でつながっていくことを信じていなければなりません。信じるのです。勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいです。このアプローチが私を落ち込ませたことは一度もありません。それどころか、私の人生に大きな違いをもたらしたのです。

 

 

 

 


さきほどの原文です。(2012年11月24日にtanakomoにアップしました)


英語を勉強している人はぜひ自分でも訳してみてください。
2番目、3番目の話はまた来週、お楽しみに。

Stanford Report, June 14, 2005

'You've got to find what you love,' Jobs says
This is a prepared text of the Commencement address delivered by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, on June 12, 2005.

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

 

 

 

 


ビジネスで紹介した本『プータロー、アフリカで300億円、稼ぐ』の中に語学関連でおもしろい記述があったので、ここでアップします英語がペラペラでも仕事ができなきゃだめ!英語にコンプレックスを持つな!というお話です。


ちょっと長くなりますが、端折らずまるまる引用したほうが、著者が言いたいことがより伝わるだろうと思うので、最後まで読んでみてください。

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ビジネスは「言葉」よりも「お金」のやりとり!(77ページ)

 現地に行く前に不安になることといえば、「言葉の壁」が挙げられるでしょう。現地の言葉が不慣れなために、海外進出ができない人は大勢います。
 ですが、言葉だけを理由にしてあきらめるのは、とてももったいないことです。
 僕も外国語は特異ではありません。謙虚でそう言っているわけではなく、「英語なら少しだけヒヤリングできる」といったレベルです。
 なにせわが社は、現在4人しかいない日本人スタッフのうち、僕を含む2人が外国語が苦手という状態です。
 そのような状態でも、なんとかなっているのです。
 中国の人たちなんて、英語すらもできないのにアフリカにやってきて、ビジネスをしていることがあります。
 彼らは交渉中、ほとんど無言ということもあります。
 ジェスチャーと指の動きだけで、値段交渉を行って、取引を成立させてしまうのです。あのたくましさが、成功の原動力となっているのでしょう。
 僕は日本にいたころから、「外国語の能力は、そこまで重要じゃない」と思っていました。アフリカに進出して、それは確信となりました。
 確かに僕は、人より恵まれた環境にいると思います。
 タンザニアでは古参社員のジャックが、スワヒリ語で通訳をしてくれます。後述するベナンでのビジネスでも、フランス語にも英語にも精通した美香がいるので、重要な商談の際には必ず同席してもらっています。
 ですが、彼らが同席していなくても、何とかできる自信はあります。
 ビジネスは結局「言葉」のやり取りではなく、「お金」のやり取りなのですから。
 僕が外国語を話せようが話せまいが、僕の商品が他社より安ければ、取引相手は買ってくれます。逆に、高ければ買ってもらえません。
 ビジネスというのは、それ以上でも、それ以下でもないのです。
 希望の価格を、お互いに紙に書くだけでも、「商談」は成立します。たったこれだけのことですから、語学力なんていらないのです
 もしあなたが外国語が苦手で、そのことにコンプレックスを感じているとしたら、私はこんな風にたずねたいのです。
「そんなに言葉を重要視して、いったい、相手に何を伝えたいの?
「そんなに複雑な会話をしたいの?」
 ものすごくお腹が空いたら、誰だってどうにかして、食べ物を探します。必死になって、なんとかしようとするのです。
 海外でのビジネスも、基本はまったく同じです。
 ビジネスを成功させないと生きていけないならば、なんとかしてビジネスを成立させようとします。コミュニケーションを取る必要があれば、少しばかり無茶なやり方でも、相手との意思疎通をしてしまうのです。
 日本で物を売れないビジネスマンが、語学ができるという理由だけで、外国で物を売れるとは思いません。
 ビジネスにおいて重要なのは、語学力より「営業力」です。
 僕は日本のビジネスマンの大半は、アフリカで通用すると思っています。細部を気にして、ためらっているから、活躍できないだけなのです。
 言葉の壁なんて、たいしたことがないのです。(77〜80ページ)
*****

フナツも30代の頃はずっと海外の会社と取引をしていた経験から、これははっきりそう言えると思います。その頃フナツは英語がそこそこできましたが、フナツより語学がまったくできない人間がきっちり稼いでいたことをよく覚えています。ビジネスは語学で決まるわけじゃない。

さらに、いちおうフナツは自分の会社も持ち、国際商取引の経験もあり講師もしていて、且つ、英語の先生をしているもんだから、学生や社会人からよく相談を受けます。

「将来は海外で仕事をしたいんですけど、英語が必要ですよね?」(学生)
「もちろん」(フナツ)
「じゃ、たとえばこれから一年間朝から晩まで英語を勉強してモノになるでしょうか?」(学生)
「何をバカなことを言っているのだ!そんなムダなことに時間を使ってどうする。他にやることがいっぱいあるだろ!自分にしかできないこと見つける、商売のネタを考える、働きたい場所の調査をする、またはとりあえず資金を貯める、その他いろいろ。ひょっとしてキミは、もし海外の会社に就職するとして、履歴書に「特技は英語」って書く気か?海外の会社で英語ができることなんか特技でも何でもない。当たり前のことだ。言葉なんて現地へ行けばなんとかなる。そんなことよりも、いったい海外でキミは何がやりたいの?それを考える方が先じゃないの?」(フナツ)
「でも、センセイ英語が必要だってさっき・・」(学生)
「そりゃ必要か必要じゃないかっていったら必要だけど、英語の勉強なんかするより他に優先してやることがたくさんある、英語の勉強よりそちらが重要だ」(フナツ)

英語を教えてメシを食っているフナツがこんなこと書くと自分で自分の首を締めることになりそうですが、日本人は「英語の勉強し過ぎ」だと思う。

英語が話せなくても幸せに生きていけると思うんだけどなぁ。

ま、それはさておき。

この本の著者はアフリカで300億円稼いでいますが、それなりのリスクを背負って生きています。誰でも真似できることじゃないので、この本を読んでアフリカでビジネスしてはどうですか、なんてことを軽々しく言うつもりはありません。でも、こういった本から普段考えたこともないような、いろんな刺激を受けてみるのもいいのではないかと思います。

 

 

 

 


実は「俳句」ってけっこう世界でもポピュラーです。

 

日本語の授業でも、俳句を作らせると「拍」感覚(いわゆる「タタタタタ、タタタタタタタ、タタタタタ」ってリズム感覚、アクセントも「低高高高高、低高高高高低低、低高高高高」って感じ)がわかるし、かつ、少ない文字数にいろんな意味を込めるという、日本語にとって大切な行間を読む、ってく感覚が身に付くんですね。

 

もちろん、さまざまな情景/心情をいかに少ない文字で表わすかっていう作文技術の練習はいうまでもありません。

 

そしてそれを英語でやっちゃおう、俳句を英語で作ろうという試みも当然あります。

 

俳句の英語訳の難しさ

 

ここでは、種田山頭火の俳句の英訳を主に紹介していますが、あの有名な芭蕉の「古池や〜」の句を英訳するとこれだけのヴァリエーションがあるというところもおもしろいです。

 

英語の勉強としておもしろい。