『地球がもし100cmの球だったら』(2013.3.27 tanakomo)
大好きな椎名誠さんが絶賛していて、前から欲しいなと思っていた本です。とても素晴らしい「絵本」です。
地球がもし直径1メートルの、大人がよっこらしょと持ち上げられるくらいのボールだとしたら(ヨガでも使うバランスボールのデカイやつと想像してもらうといいかも)、太陽は12km先の東京ドームの大きさらしい。
名古屋で言うなら、一宮とか豊明とか、高蔵寺や蟹江あたりでそういうボールを持って、ナゴヤドームをはるかに見る(想像してみる)って感じですね・・。
でもって、月は30m先に転がっているビーチボールくらいらしいです。
どうでしょう?
なんか地球がリアルに感じません?
富士山はその表面の0.3ミリの突起、世界最高のエベレストでも0.7ミリらしいです。
空気の層はなんと・・、わずか1ミリしかないらしい・・。
飛行機が飛ぶのはやはり1ミリの高さで、スペースシャトルが飛んでいき、宇宙飛行士が宇宙ステーションで活動している、私たちが宇宙だと思っているのはわずか3センチの高さ・・・。
そして、海の平均の深さはたったの0.3ミリです。
地球上の水分のほとんどは海水で、ビール瓶一本ほど。
私たちが飲める淡水は17CCで、そのうち12CCは氷河などの氷になってるから、活用できるのは5CCで、スプーン一杯もない。
いろんなことを考えさせられます。
最初にも書きましたが、この本は絵本で、小難しい本でもありません。
でも、地球環境についてさまざまに思いをめぐらせてくれます。
たまに、ふと手にとってパラパラするだけでもいいのかなぁと思います。
人間の小ささもよくわかります。
本屋さんで一度手にとってみてください。
『辺境生物探訪記 生命の本質を求めて』(2013.3.15 tanakomo)
またまた、先日の長沼センセイの本です。(数日前にアップした『生命とは何だろう?』)
「生物学の最前線がわかり、科学の面白さが堪能できる一冊」と本の帯にあります。
興味のない人には「何それ?」って感じでしょうが、好きな人にはたまらないと思います。
この本は、サイエンスライターの藤崎慎吾さんが、長沼センセイと、地球の極限環境に生きる奇想天外な生物たちを訪ね、生命の謎や本質について語り合ったものです。
「南極や北極などの極地、深海底、火山、砂漠、地底、宇宙空間・・・低温、高温、高圧、乾燥、無酸素、高放射能など、どんな過酷な環境にも生命は存在する!?」(裏表紙より)
もちろん全世界のそういった辺境まで2人で行くような予算は出版社にはないので、国内の似たようなところや研究施設、たとえば瑞浪市にある超深地層研究所とか、つくば市にある高エネルギー加速器研究機構(ここすごい施設です!)などで語り合った対談集です。
すべて語り口調なので、非常に話がわかりやすい。
そして、あくまでも「新書」なので、専門家がわかりやすく専門家じゃない人に「専門」を説くというスタンスです。
おもしろい内容ばかりなのですが、たとえばひとつトピックを紹介します。
「地球は微生物の星」だと・・・。
生物学を知らない私たちが、微生物と認識している生き物の中でも、私たちと同じ細胞内に核を持つ「真核生物」とは、全然生き物としての種類が違うバクテリアとかアーキア(詳細は本を読んでね)が実際はすごい生物で、地球上の生命の源であり、かつ多様性があり、地球上どんなところにも生息しているというその実態もいろいろと語られています。
そして、地球上で一番繁栄している「動物」は昆虫であると以前ここにも書いたことがありますが、私たちが肉眼で見ることができる「生き物」というくくりであれば、一番繁栄しているのは植物ですね。しかし、もっとすごいのが微生物なんだそうです。
***
長沼 詳しい数字は忘れたが、とりあえずこの陸上と海にいる動物を全部集めると、100億トンと言って、当たらずといえども遠からず。これに対して、全微生物を集めると、多分1兆トンとか2兆トン、3兆トンという数字になる。
藤崎 小さくても、ケタが違う。
長沼 うん、なりはちっちゃいけれど目に見えないだけで、いたるところに大量にいるから、それを全部合わせると、ものすごい量になっちゃう。
藤崎 地球は、まさに微生物の星ですね。(22ページ)
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南極の話。深海で出会った生物の話。現在、生命の誕生の場所として一番有力な候補としての海底火山での話。砂漠の生き物。地底、つまり地球の内部に生命はいるのか、宇宙には?
などなど科学好きな青少年にはわくわくする話の最後、エピローグとして「生命は宇宙を破壊する」ときます。
もちろん、人間は地球環境を破壊している、なんてそんなスケールの小さい話じゃないです。
また、長沼センセイのキャラと、藤崎さんのあくなき好奇心がミックスされておもしろさが増しています。
いろんな生き物や場所の写真も豊富です。
あー、でもまったくフナツの趣味の本なので、本屋さんでパラパラして、こういうのが好きな人だけ買ってください。
本の帯を見て、「おお」って感じで、買ってしまいました。
『生命とは何だろう?』(2013.3.10 tanakomo)
「最新の研究が教えてくれる生命38億年の歴史」
いいですねー、ワクワクしますね。
なおかつ、この本は集英社インターナショナルというところが出している「知のトレッキング叢書」というシリーズで、とにかく読みやすいのです。
世の中の「研究」と呼ばれるものは、とんでもなく頭のいい人たちが、すごい苦労をして頑張って、それでもってほんの少しずつ、本当に少しずつ、その「何々学」(物理学とか天文学とか生物学とか・・)と言われる分野の中で(最近は本当に細分化されていてわけわかんないこともありますが)、「わかっていること」と「まだわかっていないこと」、そして「どう考えても今の時点ではわからないこと」を明確にしていく作業のことです。
「まだわかっていないこと」と「わからないこと」の違いは、前者はひょっとするとその謎が明らかになりそうだということがおぼろげながらわかっていることで、後者はわからないということがわかっていることです。
この地球上では、そして人間世界では、わからないこと(そのもの)がわからないということのほうが圧倒的に多いものです。森羅万象において、人間がわかっていることなんてほんのわずかです。わからないことがあるとわかっただけでもすごいことです。
「研究」とは、先人たちが生涯をかけて掘った穴の中に入って(そこに入っていくだけでも大変なんですけど)、そして自分の生涯をかけてその穴を少しずつ広げていく作業です。
人間が認識できる「域」を広げていくという作業って感じです。
あー、また前置きが長いですが、私たち一般人が「最新の研究結果」というものにふれる、その時点においては、たぶん学会発表もなされ、そして発表されるということは他人が見てもわかるような形式に整えられ、批判もされ、その方面の研究者の人たちには常識にもなっている、その後なわけですから、当然読むのに値する知見があると・・・。
ははは、くどいですね。
最新の研究結果はスリリングでおもしろい、ということが言いたかったのです。
ちなみに、何かの勉強でも、自分がわからない箇所がわかったらその後は上達が早いです。
普通は自分が何をわかっていないかすらわからない。つまり質問もできない。優秀な生徒は実に的確な質問をしてくる、ということですね。
おお、全然話が進まない。
もうひとつ本の帯から、
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目に見えないほど小さな単細胞生物が、私たちのような知性を持つ生物にまで進化しなければ、「生命とは何か」という問題そのものも存在しませんでした。そう考えると、まるで生命が自分のことを知るために進化したようにも思えてきます。
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著者の長沼センセイは広島大学大学院生物圏科学研究科の准教授で、いろんなところでフィールドワークをなさっている方です。
賢くて、現場を良く知っていて、頭の回転が速い人の話を聞くのは楽しいものです。
活字も大きく、語り口調で書かれていて、そして章立ても実に的確。さらに化学式も数式も、そしてこういう本にありがちのデータの羅列もない。
この叢書のキャッチコピーは「知のトレッキングに出かけよう」です。まさに言い得て妙ですね、ちょっと行ってみようか、です。
まず第一章で「われわれはどこから来たのか」、生命の誕生の謎ですね。
そして第二章で「生命とは何か」、生命の定義ですね。以前ここで紹介した福岡センセイの本でも生命の定義がありましたが、この本の定義も「おお、そうなんだ」とうなずいてしまいました。
さらに、第三章「進化の歴史を旅する」、ここで出てくる<進化は「結果」であって「目的」ではない>という節はおもしろかったです。
第四章「何が生物の多様化をもたらしたのか」、そして最後に第五章「人類の未来は進化か絶滅か」と続きます。
知識としては知っていたけど、こんなふうに考えていなかったな、というところを引用して終わりにします。
長沼センセイは、生物の「海から陸へ」という進化への準備として「足」や「肺」、さらに重力に耐えうる強靭な「外骨格・内骨格」のことにふれ、そして次のように書きます。
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さらにもうひとつ、陸に上がるために必要な準備がありました。それは、「体内に海を抱える」ことです。生物が海から陸に上がったといっても、それは海が不要になったことを意味しません。むしろ、体の「外」を取り巻いていた海を「中」に取り込むことができたから、陸に上がれるようになったといったほうがいいでしょう。ある意味では、これこそが上陸のためにもっとも重要な条件です。(124ページ)
***
うーん、こういうのドキドキしますね。
『137億年の物語』(2013.2.18 tanakomo)
忙しい時っていろいろ重なるんですよねー。
今日が締め切りのものが2つありまして、木曜あたりから平均睡眠時間が3時間くらいでした。
学部生相手の授業はもう春休みなんですが、社会人向けの授業の準備も当然あるし、それにいろんなものが重なって・・。
そして、月曜締め切りと言いながら、ひとつは「金曜夕方までにとりあえずメールで添付しておいてください」なんて言われ、もうひとつは、月曜の朝までにメールすればいいや、と思っていたら、プリントアウトしたものが月曜必着ということで、結局日曜昼には郵便局に持っていって速達で出したり・・・。
日曜午後の勉強会を終えて、そのままバッタリとダウンしてました。
今日こそマイソールに行くぞ!と思ってたら、起きたのが9時過ぎ(昨日は8時前に寝たのに・・)、「おお」とあきらめて、二度寝したら、今度起きたのが午後の3時・・・。
まあそういう日もあるさ、ということで、そういう日にはこういう本がぴったり。
実におもしろいのです。
そしてカラー写真がふんだんにあるのに、この値段は安い!!
フナツはこの手の本が子どもの頃から大好きです。
なんせビッグバンから現代まで一気に読める、好きなところだけ拾い読みしてもいい。
本の帯にいいこと書いてあります。
「理系と文系が出会った初めての歴史書 小学校高学年から大人まで」
・生命はどこから来たか?
・人間はいつ猿から人間になったのか?
・誰が文字を発明したのか?
・文明はなぜ滅び、そして生まれるのか?
そして、エピローグには象徴的なことが書いてあります。
***
地球史の24時間時計で、真夜中まで20秒たらずの時点ではじまった人類の歴史に、どのような意味があるのだろう。そして、真夜中まであと0.1秒という、人類の歴史のほんの端っこで起きた、文明の誕生を、どうとらえるべきだろう。
***
そうなんですね、地球の歴史を24時間としたビデオを作ったら、人類が登場するのは23時間59分40秒後、ほとんどビデオ終わってますね。
プラス、今私たちが暮らしている文明のもとになったエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明、黄河文明が現われるのは、なんと23時間59分59秒9後なのだという・・・。
あ、って言う暇もない・・。
まして西暦何年なんて地球の歴史からいうとほとんど意味はない。
『つぎはぎだらけの脳と心』(2012.10.22 tanakomo)
さて勉強会でお約束した「脳の本」、第二弾です!
昨日紹介した池谷先生の大推薦!ということで買いました。
読んでびっくり、「いやはや、脳ってホントに・・」、という内容です。
実はかなりいい加減なんですね、脳って。ものすごく優秀かと思えば無茶苦茶なところもある。
ホント人間みたいです、というか、えーと、たとえば、平和を希求しながら殺し合いをしたりとか、献身的で愛にあふれた素晴らしい人格を持つ人が、人に言えないような性癖があったりとか、邪な妄想にとらわれたりとか、実に人間って支離滅裂なところがありますよね、首尾一貫しないとか・・。
そういった「人間らしさ」は、欠陥だらけの脳が作り上げているといってもいいのです。
4章の「感覚と愛情」では、勉強会でも取り上げた、知覚と感情は分ちがたく結びついているということが解説されています。「脳のこの部分はこういう機能を司る」とかって、脳の中の区分はそんなに明確なものじゃないようです。
もちろん、5章「記憶と学習」は必読です。
でも、ここで語られる悲しいエピソードもあります。記憶は作られるということ。たとえば、幼児虐待の記憶を作ることもできるのです。セラピストや警官が、保育士を告発するための証拠作りとして子どもに誘導尋問をするとか・・
6章「愛とセックス」も読まなきゃね、です。
いきなり最初に出てくる「人類は変質者!?」男女の脳の違いに始まって、脳における「オーガズム」の仕組みなどなど。
他にも7章「睡眠と夢」8章「脳と宗教」は興味深く読みました。
そして、こういう科学的な内容を盛り込んだ翻訳物というのは、1章から注意深く読んで、理解したら次の章へ、なんてことやってたら、たぶん1章で止まります。
小難しいところはバンバン飛ばしてしまいましょう。おもしろそうなところだけ拾い読みしても充分満足できます。
ぜひ「脳の話」を楽しんでくださいね!
『進化しすぎた脳』(2012.10.21 tanakomo)
今日は、日本語勉強会Ⅱ-1「認知」<情報処理、認知言語学の基本概念>でした。
参加者のみなさんお疲れさまでした。
おもしろかったですか?
またいつものごとく、フナツが一人で話しまくった2時間でしたが、脳のこと、そして言語学習への心理学の応用など、いろいろと(多少は)役に立つ話もあったかと思います。
ホントは勉強会の前半のはずだった、いかに人間が知識を獲得していくかのメカニズムや応用心理学などの「情報処理」の部分でほとんど時間を使ってしまったので、「認知言語学の基礎」ができなくてすいませんでした。
「認知言語学」に関してはまた別の機会にやりましょうね。
そして、勉強会の中で、脳の仕組みに関してはまた参考文献を紹介しますとお話ししましたが、とりあえず一冊目はこれです。
ぜひ以下をクリックして内容紹介を読んでほしいのですが、大脳生理学の最先端の知識を駆使して、「記憶」や「意識」の問題を解き明かすというものですが、特筆すべきは、この本が中高生を相手の講義録だということです。
だから、とてもわかりやすい。
今日のフナツの話をより具体的に、そして掘り下げて理解するためにこの本をお勧めします。
そして、ここで以前にアップしたので、名前だけの紹介ですが、
今日のレジュメの元になった、
・海保博之・柏崎秀子編著『日本語教育のための心理学』新曜社
それから、これもここで以前アップした「脳」のしくみを日常生活に活かすという内容の、
・林成之『脳に悪い7つの習慣』幻冬舎新書
などもあわせて読んでもらうといいと思います。
『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』(2012.10.10 tanakomo)
さてさてさて、「日本語勉強会」参考文献、あれ?えーと、何冊目になるのかな??
まあ、いいか。
今度は言語学とか言葉のことに興味のある人以外でも楽しめる本です。
この本は、NHKで放送された番組、<サイエンス ZERO「シリーズ ヒトの謎に迫る」>第1回から第12回まで(2008年10月〜2009年10月)を元に構成された本です。
ひょっとしたら観ていた人もいるかもしれませんね。
フナツはこの手の番組が大好きで、(あとNHK教育の「N響アワー」が好きです、でも、普段テレビを観ないフナツにはチャンネル権がまったくなくて、なかなか観られない・・)録画を忘れていない回は観た記憶があります。(ちなみに、HDの容量がなくなった場合、フナツの録画したものは速やかに削除され、家族の録画したいものが優先されます、なので、ラグビーの試合の録画専用のDVDを購入し、別の部屋のテレビに接続しました、これで好きなだけラグビーが録画できる・・、閑話休題)
ぜひ、クリックして目次を読んでみてください。
題名でもわかると思いますが、「人間とは何か」ということを、さまざまな方面からのアプローチで解明しようとした研究の集大成です(もちろん、NHKの番組なので専門知識がない人にもわかりやすく構成されています)。
10人の研究者が、同じテーマ「人間とは何か」の解明に向かって、それぞれのアプローチをしているその途中経過の報告といってもいいと思います。
DNAや類人猿、ロボットや行動生態学、神経行動学や実験心理学、脳の機能の解明や遺伝などなど、そういった諸々の研究からいろいろなものが見えてきます。
日本語勉強会の参考文献としてはもちろん、「心」「言葉」「脳」「表情」といった箇所で、知っておくといい部分があるかなと思いました。
次回の勉強会のテーマ、<「認知」について 情報処理、認知言語学の基本概念>の簡単な予習にもなるかなとも思いました。
興味のあるところだけ拾い読みしてもいいと思います。
まずは本屋さんでちょっとのぞいてみてください。
『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(2012.2.16 tanakomo)
本の帯にこんな言葉が書かれています。
「これほどのやさしい宇宙論の本はなかった」
うーん、さすがにそこまでって感じじゃないですが、おもしろかったです。
あまりこのブログでは取り上げていませんが、フナツはこの手の本が結構好きでたくさん買っています。
でも、最後まで読み通すことが少なかったので、なかなか紹介できずにいました。
まったく文系のフナツとしては、「おお、おもしろいぞ、ふむふむ」と思って読み進んでいるうちに、こういうジャンルの本には必ずお約束の「数式」が出てきて、そこから挫折するというパターンが多かったのです。
そんな「数式」なんぞテキトーに無視すればいいのに・・。理解しようと頑張ってしまって時間がかかるって感じでした。
この本の偉いところは、そういった「数式」が少ないというところにあるでしょう(なんて偉そうに言うことじゃない・・)。
sine/cosine(サイン/コサイン)も忘却の彼方にある(数2Bで挫折した)人間としては、こういう解説のスタイルはとてもうれしいかぎりです。
以前のブログで、サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』上・下、新潮社、を紹介したときに、ニュートンの「万有引力の法則」やアインシュタインの「相対性理論」がなんとなくわかったような気がしていましたが、その理解も浅かったんだなぁとこの本を読んでわかりました。
今回はもうちょっと理解できた気がする(あくまでも「気がする!」)。
たとえばみなさん、ニュートンが発見したのは「引力」ではない!「万有引力」である!って言ったらどう思いますか?
「え?どう違うの??」と思った人、この本を読むべし!
そんな感じで、他にもけっこう「ふーむ、そういうわけかぁ」と納得したことがいろいろあります。
アインシュタインの「特殊相対性理論」(「一般相対性理論」とはまた別のものね)にある「エネルギー」と「質量」の関係とか、ニュートリノのこと(スーパーカミオカンデがちょっと身近に感じられた、ちなみに、ニュートリノは「新しいトリノ」のことじゃなく「電気的に中性、ニュートラルな小さい粒子」のこと、そうだったのね・・)、ブラックホールのこと(ホールといっても穴じゃない、芯なのだ!)、さらに「暗黒物質(ダークマター、なんかスターウォーズの世界だ・・)」、加えて「ビッグ・バン」、はたまた「素粒子って一体何?」というところまでどんどん解説されていきます。
さすがに、「暗黒エネルギー」や「超ひも理論」「クォーク」と続くと、それこそ理論自体がフナツの頭から何億光年の彼方に飛んでいってしまうようで、「うーむ・・」と唸るくらいしかできなくなってしまいましたが、なんとなく(あくまでもなんとなく)「そういうものか」とおぼろげながら理解できたような気がする(と思わせる)のは、著者の村山先生の力技とでも言うべきか。(世の中にはほんとうに頭がいい人がいるのですね)
最後に紹介された、量子力学が導きだす「マルチバース」の世界は、ほとんど宗教に近いです。よくわかりません。
次は「量子力学」にチャレンジだな、ふふふ。
『ビッグバン宇宙論』(2012.2.16 tanakomo)
これは、2006年にex.blogでアップしたものを再アップしたものです。
ひさびさの知的興奮です!
文系のフナツでも読めた「宇宙論」!って感じです。
上・下でかなり読みごたえがありました。お盆休みは他の本をつまみ食いしながらも、ずっとこの本を読んでいたという感じです。ページをめくるごとに「おおおっ、そうだったのかぁ」という新鮮な驚きが続き、やっと「ビッグバン」というものの正体が認識できました。
理系の本を読んでいて何に挫折するかというと、「計算式」や「数式」、そして「グラフ」つまり「図形」や「図表」ですよね。著者もあとがきで書いてますが、いかに「数式」を減らすか、に留意したそうです。理系での言語は「数式」だし、あれやこれや言葉を費やすより数式で説明すればすぐにわかる、専門家同士ならね。「数式」というのはいわゆる専門家同士で話される「外国語」のようなものなんです。
でもこの本を読むのは普通の人だから・・。
日教でも、試験の採点や評価においては偏差値とか標準偏差の理解が必要なので、統計やらないといけないし、マーケティングでも経済のおさらいするときはやはり「計算式」が出てくるし、音声学だって、音響のほうへいけば「数字」と「式」は必ず出てきます。
だからきちんと順序良く理解できれば「計算式」も恐くないってことは・・、わかってるんだけど・・・、苦手なものは拒否反応が出ますよね・・、やっぱり。
でもね、これは最初からきちんとわかりやすく書いてあるので読めます。
文章読んでいて、「むむむ??」と思っても、少し後でちゃんとわかりやすい「図」で解説してくれるので、それまでの理解を確認できます。章ごとに、「まとめ」もあるんです。
そして、なぜこの本を読んで理系でもなく宇宙のこともわからないフナツがいろいろ理解できたのかのもうひとつの理由として、この本の特徴でもあるんですが、研究史を追っているということがいえます。
つまり天道説から地動説への変換にはどのような根拠があったのか。どのような観測をしてどのような結果が得られ、それがどのように理論に貢献したか、が詳細に語られているわけです。
同じくアインシュタインの特殊性相対性理論から一般相対性理論への進化、宇宙膨張説は何をもとにできあがったのか、などです。
そうです。つまりこれまでの物理学の歴史のわかりやすい解説なわけですね、この本は。
地球から太陽までの距離の求め方とか、地球の大きさ、太陽の大きさ、なんて実際に測量したわけでもないのに、実はずっと昔から理論上の計算で算出されていたんですよね。そのことがフナツにはすごく驚きで、やっぱ頭のいい人は違うね、って世界です。
ね!改めてみなさんにも問いかけますが、紀元前276年頃(今から二千年以上も前だよぉ!)には、<地球の大きさ>とか、<地球と月の距離>がわかってたなんて不思議じゃないですか?何にも測定のための機械もないし、天動説か地動説かなんて問いもなかった時代ですよ!!エラストテネスさん、アンタは偉い。
なんでわかったんだろうって思いません?
そして当然ながら、ずっとずっと大昔から研究者たちがいて、それぞれに頭を絞り、研究や計算、観測と調査を繰り返して、少しずつ理論を強化し、完成していった過程が語られています。
つまり、理論というのは一人(数人のときもある)の偉大な人間が考え出すんだけど、それを観測や実験結果によって補強し、立証するのは別の人だし、そしてさまざまな人がそれを疑い、検証し、反証し、また反証しなおして、そうやって一つの理論が形成されていくってわけです。
だから、この本では、いきなり最新の難解な理論を読者に「簡単に」理解させようと(だから最近たくさん出版されてる解説本が難しくなっている)「専門家にとってはわかりきっているんだけど素人には全然理解不能な」解説をするのではなく、物理学の歴史を追うことによって、読者に徐々に今日までの理論を理解させ、その上でそうやって積み重なった理論の上に、技術の発達によるこのような最新の観測結果が加味され、そしてこのような知見が得られたのですよ、という進め方をしているわけです。
どうですか?ちょっと安心でしょ?
アインシュタインもかなりわかった気がするし、ニュートンもだいぶわかりました。もちろん「以前のフナツの理解」よりも「多少の進歩」があった、というレベルですけど・・。
時間が伸び縮みするってどういうことか、光が曲がるってのがどうやって立証されたのか、銀河が膨張しているってどうやってわかったのか、ドップラー効果って何故起こる?などといういろいろな疑問点が解消されたのは事実です。
そしてそういった観測結果が、理論が、ビッグバンへとなだれこんでいくわけです。
それから、研究者たちも生身の人間です。それはもうさまざまな人間ドラマがそこにあります。
偶然の素晴らしい発見のことをいう最近の用語「セレンディピティー」も出てきます。偉大な発見というのもほんと偶然の産物でもあるんですね。
かつてウィンストン・チャーチルは言ったそうです。
「人はときに真理に蹴躓いて転ぶが、ほとんどの者はただ立ち上がり、何もなかったようにさっさと歩き去る」
そうなんですよ、躓いたときに、普通の人は恥ずかしいからさっさと立ち上がって何事もないように歩き去りますが、そこで周りの視線をいっさい気にせず、何で転んだんだろう、ってずっと立ち止まってとことん考えられる人が真理を発見することが多いわけですね。
もちろんドロドロとした感情のぶつかり合いもあります。誰が一番先に発見したのだとか、ノーベル賞をとるかとらないとか、自分の理論や観測のほうが絶対正しいのだなどという意地の張り合いとか・・。
やはり研究者だって、(研究者だからこそかな)名誉欲は(ふんだんに)あるわけで、そこらあたりも実に多様なドラマが描かれています。
そしてこの本には、科学者たちの素晴らしい言葉(というか格言、警句)が随所にちりばめられています。
自分の研究が教会によって咎められたガリレオの言葉。
「聖書は天国への行き方を教えるものであって、天の仕組みを教えるものではありません」
ある時期までは物理学の聖者ともいうべき存在であったニュートンの言葉。(ちなみにニュートンは個人的にはとても嫌な奴だったらしいですが)
「世間の目に私がどう映っているのかは知りませんが、しかし私自身にとってみれば、私は浜辺で遊びながら、なめらかな小石やきれいな貝殻を見つけては喜んでいる子供にすぎないように思えるのです。目の前には真理の大海が手つかずに広がっているというのに」
ハンガリー生まれの数学者ジョン・フォン・ノイマンの言葉
「科学は説明しようとせず、解釈しようとすらせず、もっぱらモデルを作る。ここで言うモデルとは、観測された現象を記述する数学的構築物に、言葉による説明をいくらか付け加えたものである。そういう数学的構築物が正しいと考える根拠は、ひとえに、現象がうまく説明できそうだからだ」
などなど、みんな美しいでしょ?
最後にフナツの一番好きなのを。アインシュタインの言葉です。
「感じることはできても表現することはできない真理を、暗闇の中で懸命に探す年月。強烈な願望と、交互に訪れる自信と不安。そして、ついにそこから脱却して光の中に出る―それがどういうことかを理解できるのは、そういう経験をしたことのある者だけである」
ではみなさん、また来週。
たまには宇宙のことも考えましょう。