けっこうこれまでアツく語ってきた気がします。
過去の書き込みをボチボチとさかのぼりながらアップしていきたいと思います。
2012年2月2日の記事アップ(tanakomo)です。
少しムラカミさんの本について。
『雑文集』には、オウム真理教によるテロ行為、地下鉄サリン事件に関してムラカミさんが書いた本、『アンダーグラウンド』についての文章もいくつか収められています。この本を書くにあたって、ムラカミさんは事件の被害者の方々や、オウム真理教の信者にもたくさんインタビューしているのですが、そのときのエピソードも書かれていて、地下鉄サリン事件やオウム真理教というものへのムラカミさんの考え方を記した文章がいくつか収められています。
その中でも特に、事件後のオウム真理教(アレフ)の信者たちの生活を描いたドキュメンタリー映画についてムラカミさんが書いた文章の中の一節がとても興味深かったのでちょっと引用します。
ムラカミさんは、教団の閉鎖性、それを生み出した私たちの社会そのもの、そしてそういった集団との共生について書いた後、その映画を撮った監督の「社会は確実に劣悪化している」というコメントを紹介し、以下のように述べます。
<正直なところ僕には、社会は劣悪化していると断言することはできない。社会はとくに良くもならず、それほど悪くもならず、ただ混乱の様相を日々変化させているだけではないか、というのが僕の基本的な視点だ。乱暴な言い方をすれば、社会というものはもともと劣悪なものだ。でもどれほど劣悪であれ、我々は――少なくとも我々の圧倒的多数は――その中でなんとか生きのびていかなくてはならない。できることなら誠実に、正直に、重要な真実はむしろそこにある。
さらに突っ込んで言えば、そこにある外なる混沌は、他者として、障害として排斥すべきものではなく、むしろ我々の内なる混沌の反映として受け入れていくべきものではないかと、僕は考えている。そこにある矛盾や俗っぽさや偽善性や弱さは、我々自身が内側に抱え込んでいる矛盾や俗っぽさや偽善性や弱さとは実は同じものではないのか?海に入ったときに、身体のまわりを包んでいる海水と、我々の内なる体液とが成分として互いに呼応しているように・・>
こういうことがきちんと書けるから、フナツはムラカミさんのことが好きです。大所高所から物事の善悪の判断を下さず、事物をありのままに、詳細に記述し、そのことに関する判断はあくまでも読者にまかせる。また、ある物語を伝える際に、その物語に主観的なものを混ぜて(意識的であろうと無意識であろうと)読者に提示するのではなく、その物語を読者によくわかってもらえるような別の「物語」を書く。うーん、なかなかうまくまとめることができませんが、そういったムラカミさんの書き方がフナツはとても好きです。