時代/歴史小説(その他①)

『命もいらず名もいらず』(2013.7.21 tanakomo)

 

先日から何回か紹介している、山岡鉄舟のことを描いた小説です。

まず、鉄舟その人の生涯がすごい!
そしてそれを描いた山本兼一さんもすごい!

幕末から明治にかけての旗本・御家人たちの日常生活、さらには明治維新の争乱を幕府側から描いた小説でもあります。

もう一カ所だけ、最後にこの本の中で好きなシーンを紹介します。

山岡鉄舟、もとは小野鉄太郎高歩といいます。のちに山岡家へ養子に入り、号して鉄舟と名乗るのですが、その山岡の家の当主である、槍をとっては天下一の評判をとる山岡静山との出会いのシーンです。

ちなみに、この山岡静山の弟で高橋家へ養子にいったのが、高橋泥舟です。

この人の槍もすごかったようですね。そして「舟」の字がつくことから、この本の主人公である山岡鉄舟、そしてあの勝海舟と並んで「幕末の三舟」と並び称されています。

いろいろな意味で幕末の有名人だったこの三人ですが、書の世界でもこの三人はかなり有名です。ぜひ、ウィキで「幕末の三舟」と検索してください。この三人の書を見ることができます。

フナツはあまり勝海舟のことが好きではないので(確かに偉人ですが、海舟のことを知れば知るほど好きになれない・・)海舟の書に関してはコメントを避けますが、泥舟、鉄舟の「書」は実に素晴らしいです。

書のことなんかさっぱりわからないフナツでもこの二人の書には何か感じるものがあります。本物が見たいと切に思います。

閑話休題。(ま、フナツの講義に慣れてる人は、あ、またかと思ってるでしょうが)

江戸へ戻った鉄太郎(その頃の名)は、弟と一緒に散歩に出かけますが、一軒の家の前で異様な風切り音を聞きます。気合いの強烈さが塀越しに伝わってくるのです。

***
 人生には、その人間の一生を左右する出会いがある。このとき、鉄太郎が、激しい風音に足を止めなかったら、運命的な邂逅はありえなかった。
 その風音に、激しさ以上のなにかを感じたからこそ、鉄太郎は足を止めた。
 運命の扉は、その人間が求めたとおりに開くーー
 こころを研ぎ澄まし、強く求めていればこそ、またとない出会いにもめぐまれるのだ。
 なにも求めていない人間には、すばらしい出会いなど望むべくもない。(171〜172ページ)
***

「運命の扉は、その人間が求めたとおりに開く」←いいですね。

明日からも頑張ろう。

 

 

 

 

『信長と十字架』(2012.12.21 tanakomo)

 

さきほどの信長の書き込みのところで書いた立花京子さんの論文のエッセンスが、集英社新書から読みやすく、お安く出ていますのでいちおうアップ(二度目ですが)しておきます。

興味のある方はどうぞ。

論文をまとめた本そのものは7千円超えてますので、まずは新書から。まあ専門書ってだいたいそのくらいです。でも読んでてホントにワクワクしました。

ぜひ下のサイトをクリックして内容を読んでみてください!!

多少歴史を知っている人ならきっと、「へー、こんなことがあったんだ」と驚かれると思います。

まあ、学会の定説までにはなってませんので、学校の教科書には載ってませんが、この立花説はありうる話だと思います、というかこの説によって解明できることがたくさんあると思います。

さきほどの安部さんもこの論文にインスパイアされたと書いてます。

戦国時代のグローバリゼーションです。

 

 

 

 

『蒼き信長』(2012.12.21 tanakomo

 

信長は語り尽くされていると思っていましたが、こういう描き方もあるんだって感じです。

信長が生まれる前と生まれた頃の織田家の話、信長の父である信秀がどういう男で、そしてその頃の尾張・三河がどのような状況だったかを通して「織田信長とはどういう人間であったのか」ということが描かれています。

そして物語は、信長がどのようにして尾張一国を統一し、桶狭間の戦いを切り抜け、岐阜(美濃)まで攻め上ったか、までで終わっています。天下統一のスタート地点に立ったというところまでですね。

実は、信長が人生において一番苦労した(反対にいえば、一番エネルギッシュだった)のは、尾張を統一していくその過程だったといっても過言はないと思います。多分、その後の天下統一の途上で、武田信玄が京を目指し攻め上ってきたときも、浅井長政に裏切られて絶体絶命の窮地に陥ったときも、一向一揆の勃発に悩まされたときも、さらに将軍義昭を筆頭とする既得権益を持つ集団が新興勢力である信長をたたきつぶそうと同盟を結んで四面楚歌になったときも、尾張統一の頃を思い出せば何てことはないと信長は思っていたに違いありません。

それほど津島湊から那古野城、勝幡城に始まり、清洲城、小牧城、さらに稲葉山城に至る過程は苦難の連続でした。

さらに言えば、信長の父の信秀の生涯を書いた本は少なく、フナツもこの本の参考文献で初めて知った本もあります。

当時の尾張の国の守護(鎌倉幕府以来の名門)は斯波家であり、守護代(名目だけの守護に代わって実質その国を統治している豪族)は、信長の家系ではない別の織田家(本家)でした。守護代のそのまた傍流出身の信秀が苦労して勢力を伸ばし、それをいかにして嫡男の信長に引き渡そうとしていたか、そのあたりも読み応えがあります。

信長が、兄弟や叔父たちと血で血を洗う闘争をしたこと(ほとんど殺すか追放した、実の母までも)、比叡山焼き討ち、長島一向一揆の集団殺戮などを取り上げて、信長の残虐性をことさら取り上げた本も世には多いですが、実の母や兄弟・親戚から何度も殺されそうになった信長の気持ち、旧体制を打破するにはとにかく既成のものを壊して、壊して、壊しまくるという手段しかなかった、そういった信長の切羽詰まった気持ちをそういった本は考慮に入れていないではないかと、フナツは信長に同情してしまいます。

悪辣さに言及するなら、秀吉のほうが違った意味で極悪人です。

跡継ぎの嫡男である信忠も本能寺の変で一緒に討ち取られたのを幸いに、元の主君の息子たちを家来にし、娘を妾にして(元の主君の娘ですよ!!)、領地をほぼすべて自分のものにしてしまったその秀吉はやはりアクの強い戦国大名ですね。

秀吉は、ある小説では本能寺の変の黒幕とも書かれています。

もちろん、信用できる史料では首謀者とまでは書かれていませんが、事前に知っていた可能性は高いとされています。だからあの「中国大返し」ができたと・・。そしてそういう自分の所業(悪行)を隠す為にも、豊臣政権においては織田信長が暴君であったとか、その残虐性を増幅するようなイメージ戦略がさまざまに展開され、そのイメージが今に至っているのではないかと推測されます。

信長の話でした。

この本に描かれている信長はもっと爽やかです。人情味もあります。(あー、もちろんこれは著者の安部さんが作ったフィクションであり小説ですから、これが真実だと主張しているわけではありません、いろいろ考えるとこういう信長のほうが自然だなとフナツが思っているということです)

かなりきつい性格で、有無を言わさず回りを従わせるワンマンで、敵には容赦ない人間として書かれていますが、戦国時代のリーダーたるもの、弱気になっては強いものにやられてしまうだけです。このくらいのリーダーシップがなければ、守護大名の嫡男でもなく、守護代のそのまた分家の、そして実の母や親戚一同、さらには有力な家来からも排斥され、庇護者もいなかった信長がのし上がっていくなんてことはなかったんじゃないかと思います。

そして、信長の先進性、革新性を示す「重商主義」のことも書かれています。鎌倉以来の東国武士は「農本主義」ですね。合戦のときをのぞけばあまり農民と変わらない暮らしをしていました。東国武士の棟梁は、きっとアメリカの西部劇に出てくる農場主みたいな感じですね。

筆者の安部さんは、尾張と三河との対比をまず例に出します。このあたりに住んでいる人ならわかると思いますが、尾張と三河では人々の気性や価値観が少々違うような気がします。大きな河があり、伊勢湾を抱え、いくつもの街道が集まって交通の便が良く、人の行き来が激しく、濃尾平野が広がり農業・産業も盛んな尾張は、お金にがめついけど(土地より貨幣に重きをおく)お祝い事に散財する。一方、山の多い地形の三河では質実剛健、どちらかというと東国武士のような暮らしぶりで、多少の苦難はびくともしない。

つまり尾張の信長は商業を重んじたということです。ちなみに、信長を継いだ秀吉は重商主義でしたが、家康は昔気質の武士ながら信長に最後までつきあって天下を取り、徳川幕府は(ホントは家康は商業も盛んにしたかったんですが、家光の頃くらいから)農本主義に戻しましたね。

しかし、実は尾張内部にも違いがあると安部さんは書きます。尾張上四郡と下四郡ですね。

桑名と海上の道で結ばれた東海道の一部であり、神宮の門前町として賑わう熱田、さらに海運で栄えた知多半島、木曽三川の交通・流通の中心だった津島湊など、商業が盛んでお金がどんどん回っていた下四郡と、農業に基盤を置き、どちらかというと保守的で土地に重きをおく上四郡(春日井、北名古屋、犬山他の地域)との違いですね。(ちなみにフナツの家があるところは典型的な上四郡で、中学の頃は田圃の中のあぜ道を30分歩いて通いました)

そして安部さんは、信秀が禁裏造営のために朝廷に上納したお金や、信長が動かす金額を現在の貨幣基準で換算して書いてくれています。改めて信長ってお金持ちだったんだ(莫大なお金を握っていたんだ)と思いました。(安土城の書き込みのときにも信長のお金持ちぶりにはふれましたね)

ちなみに、この本には信長の最初のアルバイトのことも書いてあります。詳細はぜひ読んでみてください。

他の大名が編成する部隊の兵士は、通常は田圃にいて、合戦となると鍬を槍に持ち変え甲冑を着て参戦していたのに比べ、信長の部隊は戦う為だけに存在する兵士を常時現金で給料を払って召し抱えていたのは有名な話です。そりゃ戦場に出るスピードは早いし常時戦っていられますよね。他の地方の武士は田植え稲刈りの時期に戦はしないんですから・・・。

文庫本あとがきには安部さんの信長へのこだわりが書いてあります。

以前ここでも紹介した立花京子さんの論文にもふれています。
信長を語るなら朝廷とポルトガルとの関連にふれなくてはいけないという話です。この論文はすごいです。

さて、延々と書いてしまいそうなのでこのあたりにします。

おもしろい歴史小説を読めるのは人生における幸せのひとつですねー。

 

 

 

 

『火天の城』(2012.11.12 tanakomo

 

作者の山本兼一さんは、『利休にたずねよ』で直木賞をもらった(この作品も松本清張賞を受賞しています)、なかなか骨太で渋い時代小説を書く作家です。

この作品は、2009年に西田敏行主演で映画化もされたので、覚えている人もいるかもしれませんね。

たぶん、フナツも最初に読んだ時に(奥付を見たら、2007年が第1刷で、フナツの買ったのが、2009年の第7刷でした)exblogのほうにアップしたはずですが、もう一度さきほどの記事との関連で、アップしておきます。

この本は、安土城築城を、その築城の総指揮をした宮大工(大工といえども、その他の作業の総監督である総棟梁でした)の視点から描いた作品です。

理想を追い求めて無理難題を言う織田信長と、それにかかわる土木作業と建設の施工最高責任者である岡部又右衛門とのからみを中心に、当時の城がどのように建てられていたか、大工の仕事とは、に始まり、左官、石工、瓦師などの職人、欄間、棚、手摺、さまざまな飾り、畳などの家具調度の製作、さらに襖や壁に絵を描く絵師(狩野永徳ですね)にいたるまで、細かく描かれています。

とにかく、パワーショベルもユンボもそしてトラックもない時代に、木を切って、山をならして整地して、そして巨大な石を組み上げて基礎を作り、地震や台風で倒壊しないような頑丈な、そして頑丈であるだけその分途方もない重量になってしまう天守閣を乗せた建物を<木で>造る。

これがとてもすごいことなんだなと、ひしひしと伝わってくる作品です。

その頃の織田信長の領地である飛騨からの材木では足らず(何十万本という木が必要!!)、その頃は敵国であった武田氏が領有する木曽から、極上の木曽檜(太いところで直径1.5メートル、長さ15メートルにも及ぶ巨大な柱)を山の中で伐採し、そして木曽川まで運び、川に流し(ここの描写がド迫力です)、さらに川から揚げて安土まで運び、山上まで運び上げ、そして棟上げをする。(よく運んだよなぁ、立てたよなぁ・・・、人力ですよ、全部)

そしてそのために人員がどのくらい必要で(やはり延べで何十万人)、材料費から人件費などがいくらかかるか計算し(計算することを想像するだけで、眼が回りそう・・)、他の棟梁たちとも折衝しながら、普請奉行の侍たちと話し合って仕事を進めていかなくてはいけない・・。(現在の建設/土木会社にお勤めの人が読んでもきっとおもしろいと思います)

この頃の織田信長が他の大名と比べてダントツに金持ちだったかもよくわかります。

読み応えがあります。

ちなみに、フナツはこの映画を観に行ってはいません。
原作とかなり違う筋書きになっていて、それをとても怒っていたレビューを読んで行く気をなくしてしまいました。

でも原作を読んでいない人はけっこう映画のことを褒めていたようです。まあ、原作を忘れてDVDで一度観ようかなとも思っています。

安土城に関しては、10月13日にアップした写真&書き込みを見てくださいね。

 

 

 

 

 

『親鸞』(2012.11.19 tanakomo

 

五木寛之さんの『親鸞』が文庫で出ました。
お買い求めやすくなっておりますのでこの機会に(って、出版社の宣伝マンかっ!)。

これは浄土真宗の始祖というより、若き日の荒ぶる親鸞を描いたものです。

親鸞さまの物語というより、後に偉人となるひとりの風雲児の若き日を描いた冒険小説といってもいいでしょう。

おもしろいです。

そして、実はこの本が出版された頃(2009年)、フナツ家でおつきあいをしている(要するに檀家)お寺の住職さんから、この本の出版記念で五木さんの講演会があるからと誘われて行ってきたことがあります。(はい、ウチは浄土真宗西本願寺派です)

さすがに、書かれる題材についてきちんと取材・調査されているなぁと講演を聞いて思いました。

これでもか、これでもかといろんな話があり、フナツは充分に堪能し、五木さんを見直しましたが(ちょっと偉そうですね、すいません)、前の席のオジサンたちはほとんど全員途中から寝てました。

親鸞さまの物語を書いた作家の講演ですから、いろんな浄土真宗のお寺の方々、関係者、そしてそのお寺がご招待した檀家のオジサンたちなんだろうなと思いました。

オジサンたちって最前列でも寝るんだよね。
フナツもたまに経験します。

最前列で、おまけに講師を目の前にしてよく寝れるなと思いますが、オジサンたちの価値観はわかりません。(あー、フナツも年齢からいうとオジサンだった・・)

ちなみに、この本の続編「親鸞 激動篇」も単行本で出ています。文庫出版まで待つかどうか悩んでます。

 

 

 

 

 

 

 

 

『女信長』(2012.10.11 tanakomo

 

たしかこの本を単行本で読んだとき、exblogのほうに書いた記憶があるのですが、まあいいです。文庫が出たということで改めてアップします。

当時、まず驚いたのは、佐藤さんが日本の時代物を書いたということでした。佐藤さんといえば、このブログでも以前書きましたが、ヨーロッパの歴史もの、特にフランスの歴史に題材を得たものが多く(「アル・カポネ」というアメリカのギャングを描いたものもありますが)、珍しいなと思って読んだ記憶があります。

この本のおもしろいところは、信長についてのたくさんの、そして実に奇妙なさまざまなエピソードが、信長は実は「女」であった、という仮説によってほとんどすべて納得がいく、ところにあります。

たとえば、
・なぜ弟信行をはじめとするほとんどの親族、母親(土田御前)さえも殺したのかという肉親間の争い。
・なぜ、槍働き、騎乗軍団などという昔ながらの戦法に背を向け、早期に大量の鉄砲の導入を計ったり、槍の長さを三間半の長さ(約6メートル)にそろえさせたりしたのか、「尾張の弱兵」という評判は本当だったのか。
・なぜ土地への執着がなかったのか(本拠地を清洲、小牧、岐阜、安土と動かした)、一所懸命という思想がなかったのか。なぜ兵農分離ができたのか。

他にも、博打を打つのは男性である(信長は桶狭間の合戦以来、戦国武将なら人生のどこかでやる「賭け」のような戦いをしたことがない、必ず勝てると思わなければ戦いを起こさない)とか、(名誉とか意地の張り合いなどの)くだらないものに見栄を張らない、などなど。

さらに、信長自身の容姿や、女性問題がほとんどなかったとか、それからここに書けないような女性特有の欠点とか・・、あー、ジェンダー的にもうこれ以上書けません。

上記の謎解きは、ぜひこの本をお読みください。

ただ、これまで何も歴史物を読まずにいた人がこれを最初に読むと、もちろんそれでもおもしろい小説ですが、ちょっと残念かなと思います。

古くは、坂口安吾描くところの『信長』でも、池波正太郎や司馬遼太郎や山岡荘八でもいいから、とりあえず織田信長に関する古典的な小説を一冊でも読んでいれば、いっそうこの本がおもしろく読めるかもしれません。

世の人々が言うところの、信長のここが変だ、ここが常軌を逸している、ここが並の男とは違う、なんていう今日史実に残るさまざまなエピソードが、「女だったから」で解けるように上手に描いているのです。このあたり佐藤さんは実にうまい。

信長のことを知っていればいるほど、読みながら「お、そこか、そういうことか」なんて納得してしまう、そんな感じです。

史実に基づいて、ある仮説とともにさまざまなエピソードをつなぎあわせていくというのはなかなかおもしろいと思いました。

小説ではなく、秋山駿さんの評伝に描かれているような「信長像」と比べてもいいかもしれません。もちろんマンガでもいいです。(すいません、フナツは信長が主人公のマンガには詳しくないので具体名を挙げられません・・)

破壊王、魔王、殺戮者と呼ばれた信長のイメージ。兵農分離や鉄砲の使用。また迷信を信じることなく科学的な発想を愛した(地球儀、その他の西洋文明)というイメージ。

先駆的な開明論者で貿易立国を目指した信長。さらには絶対的な独裁者、自身を神にまで高めたかった信長。

そういった信長の全体像と、この本で描かれている、信長が女であることとどうつながっていくのか、そのあたりがこの本の醍醐味です。

信長という人物は、とても魅力的で、書き手にとってすごく書き甲斐のある人物なんでしょうね。これからも信長に関する著作はたくさん出てくるような気もします。

それぞれに楽しみたいですね。うーん、こういう見方もあるのか・・って。

それから、佐藤さんの他の作品もおもしろいです。

「三銃士」のダルタニャンのその後『二人のガスコン』、ジュリアス・シーザーを描いた『カエサルを撃て』、16世紀のパリ、セーヌ左岸の『カルチェ・ラタン』、文豪アレクサンドル・デュマを描いた『褐色の文豪』、そしてその父親を描いた『黒い悪魔』、直木賞受賞のサスペンス『王妃の離婚』、13世紀のフランスでの戦い『オクシタニア』、などなど、他にもたくさんあります。

どれもおもしろいです。

機会があればぜひ!!

 

 

 

 

『宮本武蔵』(2012.10.6 tanakomo

 

最近、日本語教育関連の本ばかりアップしているので、このブログは日本語教師のブログかと思われそうですね。

なかなか忙しくてアップできていなかった、フナツの趣味の本もぼちぼちアップしていきますね。

加藤廣さんは、「本能寺の変」の謎に迫った三部作『信長の棺』『秀吉の枷』そして『明智左馬之介の恋』で有名になった方です。(どれもすごくおもしろいです)

歴史上有名な人物や事件に題材をとり、新解釈でとてもおもしろい小説を書く方です。

他にも『謎手本忠臣蔵』(仮名手本忠臣蔵のもじり)や、桶狭間の合戦はなかったという設定の『空白の桶狭間』など、歴史上のミステリーを、豊富な史料を読み込に、かつ大胆な解釈で小説に仕立て上げる、その手法はお見事というしかないです。

以下にアップした『宮本武蔵』上・下は、新潮社から出た『求天記 宮本武蔵正伝』が文庫化されるにあたって改題されたものです。なので、以下をクリックしても本の解説が読めないので、『求天記』の解説から以下引用します。

****

内容情報
巌流島の決闘の背後には、限られた者だけが知る小次郎暗殺計画があった。存亡を賭けた細川家の機略に、若き武蔵は巻き込まれる…。「保身の時代」に添えない男を、深い共感とともに描く歴史大作。
家康は切支丹禁教へと舵を切る―細川家筆頭家老・松井興長は確信した。幕府外交顧問ウィリアム・アダムスの母国イギリスと、切支丹として日本に根を張る旧教勢力は、激しく対立しているからだ。折しも家中で明るみに出た、佐々木小次郎のアダムス暗殺計画。この男、消しておかねば細川家が亡ぶ。そんな興長の焦燥を、武蔵は知る由もなかった…。組織に生きるには大きすぎた“将器”を抱え、自らの天命を求めて彷徨う武蔵の生き様を共感を込めて描く歴史大作。

****

「宮本武蔵」という剣豪は、(解説にも書かれていますが)非常に有名な割に、信頼できる史料に乏しい人物らしいです。

その神秘化された伝説ゆえに、吉川英治、五味康祐、柴田錬三郎、司馬遼太郎など錚々たる時代小説家たちによって描かれ、最近では井上雅彦『バガボンド』というマンガでも有名ですね。

でもフナツは、有名な「佐々木小次郎との巌流島の決闘」とか、関ヶ原の合戦では大阪方で負け組だったとか、いろんな大名に召し抱えられ、最後は細川家で亡くなったなどのエピソードしか覚えていなかったので、この加藤さんの小説に書かれている詳細な武蔵の生涯についてほとんど知らなかったのだなと改めて思いました。

そして、加藤さんの作品らしく、「巌流島の決闘」にも新解釈が加えられていて、おもしろい時代小説を充分に堪能させてもらいましたって感じです。

時代物初心者でも大丈夫です。
そして『バガボンド』で武蔵を知ったという人にもお勧めです。

 

 

 

 

『小太郎の左腕』(2012.8.2 tanakomo

 

『のぼうの城』そして『忍びの国』に続く和田さんの時代物、第三弾です。

前二作がある程度史実に基づいたものであるのに対して、この作品はほぼフィクションです。

ちょっと真ん中あたりで間延びしている部分や、そういう展開かよ、といった不満はありますが、和田さんの時代物は新しい観点やこれまであまり取り上げられなかったポイントが描かれているのでおもしろいです。

時代物のエンタメって感じですね。

前二作はここでも紹介しましたが、和田さんの本で時代小説にデビューしてもいいと思います。

 

 

 

 

『蒼き狼の血脈』(2012.8.2 tanakomo

フナツはやっぱり歴史物が好きなんですね。
こういう作品は無条件に読みたくなる。

みなさん、鎌倉時代に日本に攻めてきた「元」を知ってますか?たぶん日本史で習ったことがあると思うし、あーそういえばって感じの知識はあると思います。

チンギス・ハン(チンギス・カンとも、チンギス・カアンともいう)がモンゴルを統一し、その息子たちが世界にまたがる大帝国を作るわけですが、元の宗主はフビライ(これもクビライともいう)といって、チンギスの孫です。

おまけにフビライはチンギスの四男の子どもです。
いろいろと相続争いがあったことがわかりますね。

この作品はそのチンギス亡き後、三男のオゴデイを経て、フビライのお兄さんモンケがモンゴルの王になるまでの物語です。

主人公はキプチャク・カン国の礎を作ったバトゥ。このバトゥはチンギスの長男、ジュチの息子です。国が大きくなると跡継ぎを誰にするかは世界中でいろいろ問題なんですね。

バトゥは、モンゴルから遠く、ロシアやハンガリーまで攻め込みます。ドイツ騎士団やスウェーデン王国なども登場します。

そんなにドラマティックな展開はないのですが、モンゴル軍の強さやその頃の歴史、都市の描写などもおもしろく、最後まで一気に読みました。

 

 

 

 

『英国太平記』(2012.8.13 tanakomo

 

歴史小説、といってもちょっと外国のものを・・・。

 

***

先日某学校の英語の授業で、イングランドとスコットランドに関する短い文章を紹介しました。

スコットランドはイギリスの一地方だと思っている人は多いが、そんなことはない。独自の法律や首都(エジンバラ)、議会、そして切手もあって(もうほとんど使われていませんが独自の言語もある)、1707年にイングランドに併合されるまでは独立国家であった。といった文章です。

以前ここにも少し書きましたが、サッカーやラグビーの試合では、イングランドとスコットランドは別の国として出場します。今回のオリンピックでイギリス代表が弱かったのは各国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)の寄せ集めだったからというまことしやかな噂もあります。

ちなみに、イギリスというのは日本語で、Englishの昔の発音「エンゲレス」がなまってイギリスになったわけで、実はイングランドのことです。

正式国名は、さきほど書いたイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド(アイルランドの北半分)という地域を含む国家として、the United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandとなっています。最初の部分を略してUKとか、後半を略してGBといったふうに表記されます。

また前置きが長いですが、まだイングランドがスコットランドを吸収合併する前、それもスコットランドにイングランドが攻め込み、血で血を洗う戦争をしていた頃の物語が今日紹介する以下の本です。

英文学をやろうとする学生諸君、もしくは国際コミュニケーション関連で欧米の文化その他を専攻したい学生諸君は、イギリスの歴史をぜひ知っておいてほしい。

まあ、そんな真面目な話じゃなくても、血湧き肉踊る冒険活劇として読んでもらっても十分に面白いです。

プロローグから少々引用します。
****
今からおよそ700年前、中世の日本が『太平記』の語る南北朝の動乱期を迎えるころ、ユーラシア大陸の反対側の島国、英国でも苛烈な戦いの日々がつづいていた。当時別国であった南のイングランドが北のスコットランドの併合を企てたが、スコットランドが受け入れようとしなかったためである。(13ページ)
*****

日本では元寇があり、鎌倉幕府(北条氏)が衰え、楠木正成が挙兵し、後醍醐天皇が隠岐に流され、そして足利尊氏が何度も負けながらもついに征夷大将軍となる、まさにその頃、ブリテン島の内部でも凄惨な殺し合いが行われていたわけです。

当たり前ですが、イギリスにも歴史を変えた、たとえば日本でいうなら桶狭間とか関ヶ原のような戦いがあったわけですね。

大人になってから物語で読む歴史ってホントにおもしろいです。

また、王族の血脈がどうやって綿々と繋がっていったのか、当時の貴族がいかに現在の貴族と繋がっているかも興味深いです。

なんと、14世紀にスコットランドが不屈の闘志でイングランドを撃退し、和平が訪れ、その証としてスコットランドの王族とイングランドの王族の婚姻があり、それから紆余曲折はあったものの、数百年後イングランド王の血筋がまさに絶えようとしたそのとき、一番その血をひく人間としてスコットランドの王族の血筋がイングランドの王を継ぐこととなり、ここにイングランドとスコットランドの王が合体し、そしてそれが1707年のスコットランド合併へと繋がっていくんですね。

もちろんイギリスの歴史ですから、フランスの歴史とも重なります。フランス内にイギリスの領土があったり、ローマ法王とのやりとりも当然あります。

それから、物語に出てくる地名や人名が、英語を少しかじっている人間には馴染みのあるものばかりです。イングランド東海岸沿いにあるワシントン家のことも出てきます。ここの子孫がアメリカの初代大統領ですね。

さらに、アメリカと関係の深いところでいえば、以下の言葉が有名です。

ちょっと裏表紙から引用します。
****
「栄光のためでなく、富のためでなく、名誉のためでもない。ただ自由のためにのみ我々は戦う」のちにアメリカ独立、フランス革命の礎となったその宣言は。隣の強国イングランドに迫害されながらも粘り強く戦いぬいたスコットランド人の名もなき人々の魂の叫びだった。
****

上記の言葉は、1320年にスコットランド政府からアヴィニヨンのローマ法王ヨハネス22世に届けられた、のちに「アーブローズ宣言」として歴史に残る書簡に書かれていた言葉です。見事なラテン語で書かれた長文のこの書簡は、14世紀の時点で書かれたものとしては非常に先見的であったとされています。

えーと余談ですが、「ヨハネス」を英語読みすると「ジョン」になります。人名っておもしろいです。

閑話休題。

さてスコットランドには、現在独立の動きもありますが、止まらなくなりそうなのでこのくらいにします。

この本を読んで、ぜひ中世英国へ飛んでみてください。

 

 

 

 

『天地明察』(2012.8.17 tanakomo

 

読後、正直「悔しい」って感じでした。

著者の冲方丁(「うぶかたとう」と読みます)さんは、これが初めての時代小説だそうです。初めてにして、これだけのものが書ける・・、すごい・・。

実におもしろい小説です。

もちろん、時代背景や時代考証などを厳密に行えば、「こんなことはありえない」とか「こんな人物がこんなところでこのような所作や行動などしない」などなど、いろいろ瑕疵は見つかるわけです。

また、かなりの部分を史実に基づいているので、実際の歴史の記述が長くならざるを得ない上に、物語の大切なテーマである「和算」や「天文」というかなり専門的な事柄も解説せざるを得ないので、専門書の名前や用語、人名がいたるところに出てきます。

普通だったら、上記2つで明らかに読者の興を削ぐ結果になります。特に後者に関しては、物語の進行よりも、著者の「どうだ、この本を書くためにオレはこんなに調べたんだぞ」という自己満足が見えてきて、物語を楽しめなくなるのです。

そのあたり上手に書いてるんだなぁ・・。

それに加えて、どこまでが史料に基づくことなのか、つまり現代でいうところの史実なのか、どこからが著者のフィクションなのか、が渾然一体となっています。

この「どこから、どこまで」がわからないところ、これは時代小説にとってとても重要なポイントであり、そう言われることこそまさにいい時代小説であるということにもなります。

解説を養老孟司さんが書かれています。

養老さんは、解説の書き出しを「手にとって読み出して、とても面白い小説だと思った」と始め、そして、この小説の良さを「読んでいて、淀みがない。すらーっと読めてしまう。そこが気持ちがいい」と書いています。

さらに、「たぶん淡々としていると感じるのには、まだ理由がある。著者が若いことである。だから主人公も若いときがていねいに書かれている」というわけです。

また、以下のようにも書いています。
****
 だからこの作品を批評するなら、たぶんあそこが足りない、ここが不足だ、などと言いたくなるんじゃないかと思う。私は言わない。このままで十分である。だって話は江戸時代、その時代が簡単にわかるわけない。正確に、事実に即して、伝えようなんて思ったところで、どうせわからない。いま生きている、この現代だって、なにがどうなっているのか、よくわからない。二百年経ったら、もっとわかるようになるのかといったら、私は懐疑的である。もっとわからなくなるに決まっている。そう思っている。それならこの小説みたいに、サラっとしているのがいい。(288ページ)
****

養老さんもこの作品を楽しんだことがわかりますね。

他にも「すごいな」と唸らされるところはたくさんあります。

巻末にあるような、『明治前 日本天文学史 日本學士院日本科学史刊行会編』とか、『科學史研究 第一号「渋川家に関する史料」』のような一次史料を読み解いて作品に生かすだけでなく、物語の展開のさせ方が実にうまい。なんか映画的なところ、イメージがクリアに浮かぶようなシーンがたくさんあります。(ちなみに、映画化されます、主人公がV6の岡田准一、妻が宮崎あおいです)

おまけに、216ページのような粋なセリフも書けるところが素晴らしい(あー、だめです、そこだけ読んでも良さはわかりません、ちゃんと順を追ってそのページにたどりつくように!)。

そして、泣ける。

上巻の最後で、そして下巻ではいくつもの場所で、目頭が熱くなることを保証します。

久しぶりにすっきりしました。
フナツも頑張ろう!!

 

 

 

 

『城を噛ませた男』(2012.8.31 tanakomo

 

伊東潤さんは最近徐々に人気の出てきた時代物の作家です。

この本は、特に関東近辺の土豪・国人と言われる小豪族が、戦国時代も終わる頃、いかに大勢力の狭間で生き延びたかを描いた短編集です。

どれもなかなかおもしろい。

いかに生き延びるかは、いかに生き延びることができる勢力に味方するか、でもあります。

現代の私たちは歴史がどのようになったかがわかっているので、たとえば、武田信玄に味方して、その息子勝頼とともに滅びた豪族や、北条氏について小田原城に籠城した武将たちや、関ヶ原で徳川家康と戦ったり大坂の陣で大阪方に味方した武将たちを、時流を見誤った古い考えの人々と看做しがちですが、その時代を生きていた人々には未来を予測する術もないわけです。

武田も上杉も織田信長よりずっとずっと強かったし、とにかく信長はこの二人に平身低頭で長い間土下座外交をしていたわけだし、秀吉はああ見えて実はすごく冷酷だったし、徳川家康はただの三河の田舎大名だったわけですしね。

ほんの少しでも決断を誤れば、自分や家族に一族すべて、そして家来やその家族親戚もすべてが殺されてしまうような時代に、いかに生き延びることができそうな道を選ぶか、ホント究極の選択の連続で大変だっただろうなと思います。

特に関東はいろいろな豪族が割拠していて、上杉が侵攻してくれば上杉につき、北条が勝てば北条に人質を出し、武田こそと思ったらその武田が滅びちゃって、今度は織田だと思ったら本能寺でやられちゃって、じゃ北条だと思ったら秀吉が強くて、秀吉だって思ったら関ヶ原で・・、もう何がなんだかわからない。

あー、でもどちらかっていうと、時代物初心者よりも、いろいろ他のも読んでいて、いろいろとこのあたりには詳しくなってるぞという人にお勧めです。

 

 

 

 

『斜陽に立つ』(2012.8.31 tanakomo

 

さて、みなさんは乃木将軍のことを知っていますか?

「乃木希典」、長州出身の武士(明治以後は士族)であり、明治維新前後の動乱をくぐり抜け、長州閥だった陸軍で出世し、第一師団第一旅団長として日清戦争に従軍、第二代台湾総督を務め、日露戦争の第三軍将軍として、多くの兵士を犠牲にした、後に「愚将」の烙印を押される原因になった、旅順攻防戦を指揮、降伏したロシアの将軍への対応や、そのたたずまい、風貌から武士道精神をよく体現する人間として、国内はもとより海外までその名を知られ、「軍神」とまで言われた将軍(なんと全国に乃木神社がある)であり、さらに明治天皇崩御の日に「殉死」した、あの乃木将軍です。

ふう、簡単に乃木希典の生涯を書こうと思っても、すごく長い文章になってしまいますね。

フナツは「武士道」で論文を書いたので、乃木将軍のことはかなり調べました。

まず、明治維新の元勲や活動家をたくさん育てた、あの松下村塾の吉田松陰を教育したのが、彼の叔父である玉木文之進であり、その玉木は乃木の親戚で、乃木は一時期玉木家に寄宿していたことから、乃木は松陰と同じく山鹿流などの武士としての訓育を受けていたに違いなく、さらにその頃の貧しい(出世したいと願う)武士の子弟のたしなみとして、子どもの頃から漢書・詩文はもとより、馬術、砲術、槍術、剣術などの稽古に明け暮れていたことなどから、幕末の武士の子弟で明治の士族の一典型でもあること。

次に、幕末の、あの狂気のような浪士の群れが象徴する、太平の江戸期には見られなかった、自身が武士であることを証明したいと願う若者たちの先鋭化した「武士道精神」を調べるにあたって、松下村塾及びその出身者と関連する人々の思想ははずせないところだったこと。

ああ、武士について書き出すと前置きが長い。

さらに、新渡戸との関係で台湾総督府の歴史と歴代総督は全部調べなくてはいけなかったこと。

江戸も中期以降になると滅多に見られなくなった、主君の死にあたってその臣下がみずから命を絶つ武士の風習である「殉死」を、明治になって、それもその終わりに際し、実際に行った「旧士族」が何を考えてそれを実行したのか、そういったことがとても興味があるところだったのです。

新渡戸も『武士道』の著者として、乃木将軍の殉死に際してはコメントを求められていますし、実際に新渡戸と乃木将軍は生前言葉を交わしてもいます。「乃木将軍の思い出」という新渡戸が書いたエッセイもあります。

さらに、当然のごとく乃木の殉死は同時代のさまざまな思想家や文学者に衝撃を与え、たくさんの人がその行動を評した文章を残しています。その行動を讃える人もいれば、時代遅れだと批判する人もおり、一般庶民にもよく知られている著名人が封建制度の残滓が残る悪習を実際に行動に移し、それも妻をも道連れにした「血まみれ」の行動にはさぞかし今で言う新聞の大見出しのようなスクープになったことでしょう。

現代に至っても、明治の思想について書きたいと思う人は乃木将軍のことを書きたくなるようです。実にたくさんの人が乃木将軍について書いていて乃木関連の参考文献はたくさんあります。そして、いわゆる知識人・インテリほど乃木の行動を批判する傾向があります。

さらに、その乃木将軍批判の極めつけが、かの司馬遼太郎です。
司馬遼太郎は、乃木を「愚将」とはっきりと決めつけ、その作品の中でかなり強い調子で乃木を貶め、乃木の思想や行動を批判しています。

高度成長期からバブルにかけて歴史小説作家の最高峰として、たくさんの人に読まれていた司馬遼太郎の書く歴史ものは「司馬史観」とまで言われ(もちろんフナツも司馬遼太郎の著作はほぼすべて持っています)、かなりの数の人々の歴史観に影響を与えました(くどいようですが、フナツも若い頃はとても影響を受けた一人です)。

あー(以前にも書いたかもしれませんが)、ちなみにあのNHK大河ドラマの「龍馬伝」は、司馬遼太郎の『竜馬が行く』を下敷きにしていることは知られているようで知られていません。

あれは完璧なフィクションです。

実際の歴史を下敷きに、坂本龍馬というアイドルを造り出したのは司馬遼太郎の才能といっても過言ではありません。しかし、坂本龍馬とは依って立つ組織が違う人間からすれば、彼は今で言うプータローであり、怪しげなブローカーであり、勝海舟の腰巾着であり、かなりひどいことをした人間です。

そもそも彼が明治維新に際して何かを成したということは、現在評価の定まっている史料には書いてありません。そもそも坂本龍馬という名前を『竜馬が行く』以前に知っていた人は少なく、またその本の中で坂本龍馬がやったという諸々は、明治の世も深まり、旧土佐藩の影響力が低くなった頃、旧土佐藩士が自分たちの藩にも偉人はいたと吹聴したことに過ぎないのです。

おお、ちょっと興奮してしまった。
まあ、ドラマを観た方々がすごいと思ったあの坂本竜馬はあくまでも司馬遼太郎(及びNHKが雇った脚本家)が造り出したアイドルであり、実際の坂本龍馬とは違うのだということがわかっていれば別になんということもないんですけど、でも、実際に坂本龍馬という名前の人が新しい時代を作ったような幻想を抱いている人がいるような気がしてちょっと恐いです。

閑話休題、

でもって、このブログにも以前(何度も?)書いたように、現在「司馬史観」は見直しを迫られています。故人を鞭打つのはよくないことですが「実は司馬史観は歪んでいるのではないか」とたくさんの人が指摘するようになってきました。

先日もある雑誌のビジネス書の紹介で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』があって、ちょっとそれはないだろうと思ってしまいました。小説としてはとてもよくできていると思いますし、フナツも大好きで、何度も読み返したことがあります。

でも、現代の日本はもうあの作品で書かれた「坂の上の雲」を見上げて頑張る国ではなくなってしまったのは事実です。

坂の上には雲があったのかもしれませんが、今の日本はもうその「坂」を越えてしまっただけではなく、かつては登った坂道を越え、今は下り坂を転げ落ちつつある状態だと思います。

またまた閑話休題、

で、この本は、その司馬遼太郎が貶めた乃木将軍のイメージを、それはちょっとないんじゃないかと、著者の古川薫さんがたくさんの史料と丹念な考察によって覆そうと試みた本です。

やっと本題に入れました。

結局、乃木将軍を擁護する人、好きな人は一般大衆であり、封建主義を懐かしむ人であり、古い体質の人間なのだというレッテルが貼られてしまって、乃木将軍を批判しないのはインテリではないと、アカデミックな世界では定評になっているようなのです。
フナツもそのことをさまざまなところ(学会発表とか大学の先生方の口調とか、まあその他いろいろ)で肌に感じました。

そういった風評に真っ向から立ち向かって、そして司馬遼太郎の作品では乃木とは対照的に褒めちぎられている、明治の日本陸軍の大立者であり日本海海戦と並んで日露戦争の勝利の要因とまで言われた児玉源太郎の生涯と重ね合わせながら書かれた本です。

裏表紙には<著者のライフワークにして集大成となる評伝小説>とまで書かれています。フナツも同感です。

ああ、どこまでも書いていきそうなのでこのあたりでやめます。

学生諸君、君たちのお父さんやお母さん世代(おじいちゃんおばあちゃん世代)に共通するかもしれない「え、乃木将軍?その人って旅順でたくさんの戦死者を出しちゃった人でしょ、なんか作戦がまずかったらしいじゃん」とか「明治になって、それも天皇が亡くなったからって切腹した人だろ、そのとき奥さんも殺しちゃったらしいし、たぶん右翼だな」なんていう乃木将軍の批判を口にする人がいたら、この本を読んで反論してください。

乃木将軍の第三軍が立てた戦略は必ずしも間違ってなかった、むしろ大本営のミスによって戦死者が多くなったこと、時代遅れの封建主義者だったから切腹したわけではないこと、そして右翼でも何でもないことはこの本にちゃんと書いてあります。

うーん、でも今日フナツが書いた文章自体が偏っているって言われそうな気もするなぁ・・。

ま、いいや、この本や他の本を読んで、みなさんが判断してくれればいいことですね。

おおっと、忘れるところだった。

最後に、「乃木三絶」を知っているおじいさん、おばあさんも多いと思います。乃木将軍が詠んだとされる七言絶句の三編です。いわゆる「詩吟」をやっている方々なら誰でも知っている有名な漢詩ですね。『山川草木』『王師百万』『爾霊山』の3つで、この本の題名は、『山川草木』の中の一節、「金州城外立斜陽」から来ています。

 

 

 

 

『風の如く水の如く』(2012.4.23 tanakomo

 

暇なときはこんなことして遊んでいたんですね。2012年4月のアップです。

 

***

フナツの中の「翁」が語っておりま。(「ふな爺」とでも読んでください)


おお、何といったかの、そうそう安部の龍太郎どのじゃ、この者は戯作上手よの。
このような話があったと、まるでその場におって見聞きしてきたような物語じゃ。

思えば不思議なことよ。今の者どもは関ヶ原が天下の分け目の合戦、この合戦で徳川の天下が定まったものと思うておるが、ほれ、関ヶ原で内府さまが勝ったとて、大阪には太閤さまが精魂込めて築かれた難攻不落の大阪の城がある。そこには秀頼さまがおられて、加藤、福島をはじめとする豊臣恩顧の大名に加えて、加賀前田も宇喜多もおった。まだまだ内府さまを快く思わぬ者もたくさんおったのじゃ。そうやすやすと徳川の天下なぞくるものではないわ。
関ヶ原の合戦に至るまで、はたまた終わってからの論功行賞の沙汰があるまでに数知れぬ企みや謀があったに相違ない。それは言わずと知れたことよ。
ましてや大阪方を根絶やしにしようと、冬の陣に至るまでに、内府どのがどれだけ精魂傾けて謀をめぐらしたか、考えるだに恐ろしいわ。
関ヶ原で薄皮一枚の勝利を得たとて、徳川の世ができるまでには、ひと波乱もふた波乱もあったはずじゃ。
安部どのはそこを詳しゅう書いておる。

何、爺様それは物語にござりまするだと、そのようなことはわかっておる。そのほうらにわかるように噛んで含めて話しておるのじゃ。

その、何だ、思えば治部もあわれな男じゃが、治部の目指したように、太閤様の、いや右府さまの考えられたような、狭い日本など飛び出して海の外に版図を広げ、天下統一後のさむらいどもの力を外に向けさせ、交易によって国を富ますという策もあながち間違いではなかっただろうの。
そうなっていれば、いすぱにあやぽるとがるなどを打ち払い、えんげれすとの一騎打ちであったかもしれぬぞ。いや、そうであろう。痛快なことよ。

内府さまが権現さまとなって基礎を作り、台徳院さまが継がれ、大猷院さまの時代に固まった江戸の世も、その後数百年も泰平が続いたわけじゃからそう悪いとはいえぬが、それはちと褒め過ぎというものじゃ。その後のさむらいたちは苦労のしっぱなしじゃったからのう。

安部どのが書かれたように、もうひとつの目もあったの。安部どのが書かれたとおりなら、黒田シメオン如水どのが天下をとったいたやもしれぬ。
シメオンどのが目指したのは、有力諸侯が天下を分け合い、シメオンどのが目の届くところにおいてはキリストの国を作るというものじゃが、はたしてどうであったかの。それを考えるのもまた一興じゃの。

これ欠伸などするものではない、そなたら若いものがこれからの国をどうするべきか、それを考えるよすがとして爺は話しておるのじゃ。先人のたどった道が教えるものをあだやおろそかにしてはならぬ、よいか。

まあ、関ヶ原も何も知らぬものにはちと退屈な話であったの、許せ、爺の繰り言じゃ。

しかしのう、いま一度申すが、安部どのは物語上手じゃのう。

 

 

 

 

『ぼんくら』(2012.2.25 tanakomo

 

本の紹介にもありますが、極上のミステリでもあり、下町人情話でもありというお得な本です。
最近の宮部みゆきの書く小説は、読みながら背筋が寒くなるようなものが多くちょっと敬遠していますが、時代物は相変わらずおもしろい。
この本は以前たしかexblogのほうでアップしたという記憶があるのですが、ぜひ読んでいただきたいと再度アップです。
体裁は短編小説の連作ものという感じですが、実は全部がつながった長編ミステリなのです。人物描写もうまく(もう、うますぎて嫌味になるくらい)、ほろりとくる話もあり、しかし最初の殺人に端を発し、その裏にある壮大な陰謀(ちょっとおおげさですが)が徐々に明らかになっていくという筋立てです。
背筋が寒くならない、後味がよろしいミステリが読みたい人、そしてそこに人情モノのテイストが加わっているという「一粒で二度おいしい」(古いね)小説です。
ホント宮部みゆきは職人です。彼女の物語を作る才能、うまく展開するテクニックは毎回すごいなと感心します。
これを読むのは2度目なんですが、うまい具合にほどほどに忘れていて(うーん、実は喜ばしいことではない、脳の老化が始まっている・・)、展開にどんどん引き込まれるし、1度目には読み飛ばしているた伏線の数々に、宮部さんの職人技を見せつけられました。
これは日本酒片手にどうぞ。

 

 

 

 

『本能寺の変四二七年目の真実』(2011.10.24 tanakomo

 

古くは長谷川伸、山岡荘八、山手樹一郎、五味康祐、山本周五郎、戸部新十郎から、池波正太郎、司馬遼太郎、藤沢周平、津本陽、白石一郎などなど(きりがないのでやめますが、でも今気づいたけど昔の作家ってペンネームも貫禄があるというか昔っぽい、なんか昭和のにおいがする・・)、「本能寺の変」に関してはいろいろ読んだぜ!という人にもお勧めなのがこの本です。
この本は(現在の時点では)「本能寺の変」謎解き決定版といえるでしょう。フナツも人後に落ちずかなりいろいろと読んでますが、これまでの謎が一気につながって解けていったという感があります。
著者は、作家でも在野の歴史研究家でもありません。名前からもおわかりのように(きちんとした系図は関東大震災で失われてしまったものの)明智光秀の子孫ということです。
先祖の汚名を晴らさんと、コツコツ史料を集め、読み込み、地道な研究を続けておられたようで、その努力には頭が下がります。
特に、第10章と第11章は素晴らしい!(第14章も新たな視点が・・)こういう考え方があったのだ、って感じでした。二重に入り組んだ計画と、錯綜する武将たちの思惑の結果、表面的には現代の我々が知っている事件だけが後世に残ってしまったというわけです。このような「ひとつの歴史的事件の新しい解釈」というのは絶えず疑いを持って読まなければいけないのですが、非常におもしろかった。小説を読むように読み耽ってしまったというが実感です。
すれっからしの時代小説好きにも、巷の「歴女」の方々にもおすすめです。
NHKの大河ドラマは、まったくの時代考証無視の安っぽいメロドラマだぁ!!と叫び続けているフナツより愛をこめて。