歴史/時代小説(その他②)

読書日記です。(tanakomo 2023.1.18)
『八本目の槍』新潮社、『幸村を討て』中央公論社、の二作がとても面白かったので、たぶん間違いないだろうと思いましたが、さすが直木賞受賞作です。
芥川賞は毎回まったく面白くないのはわかっているので、完全に無視ですが、たまに直木賞はすごくいいのがあります。
時代は戦国末期、関ヶ原の決戦の直前で、石垣を積むのが仕事である職人衆「穴太衆」が主人公です。
これまでも「穴太衆」に関しては、
・佐々木譲さんの『天下城』新潮文庫、
・山本兼一『火天の城』文春文庫、
(どちらも安土城の築城を描いたもの)
という名作がありましたが(どちらもめっちゃ面白いです)、この今村さんの『塞王の楯』は、大津城です。
いや〜、読み進むのがもったいなかった。
ちょっとずつ読もう、たくさん読んじゃうと残り少なくなっちゃうじゃないか、ってゆっくりゆっくり読んできましたが、とうとう読み終えてしまいました。あ〜、残念。って、そんな作品に久しぶりに出会いました。
敵対する鉄砲職人の集団「国友衆」の描き方も秀逸。時代小説が好きな人には絶対おすすめです!

久しぶりにこちらに書き込む読書日記です。(2024.3.13)
授業でモンゴル帝国のことを話して(いわゆる国際関係論的な授業で、グローバリズムについてのところで「帝国」について話しまして)、いろいろ調べたりしたときにいくつか小説も紹介し、
で、紹介する前にまた読んでしまって、ってまた前置きが長いのでこのくらいにして、
まずは、
・井上靖『蒼き狼』新潮文庫、奥付を見たら、初版が昭和39年!
フナツが買ったのが、昭和59年版、なんとこの時点で39刷です。
この本でチンギス・ハン(テムジン)のことが世に知られるようになりましたね。今読んでも十分に面白いです。「モンゴル帝国」、13世紀初め、チンギス=ハンがモンゴル人とその周辺民族を統合した遊牧帝国。急速にその勢力を伸ばし、13世紀後半までにはユーラシア大陸の東西に及ぶ、世界史上で最も広大な領土を持つ帝国となった。
最盛期の領土面積は約2400万平方キロメートルで、地球上の陸地の約17%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。すごいですよね。降伏する国は許し(略奪はされるけど)、抵抗する国は攻め滅ぼし、男は皆殺し、子女は全て奴隷として持ち帰る。
行くところ敵無し。
北にはさすがに行けませんでしたが(シベリアには何も略奪するものがない)西はペルシャ(当時はホラズム帝国)を初めとして、ロシア、いわゆる東欧諸国は全て従え、ヒマラヤのおかげでインドは攻め込まれずにいましたが、中国、朝鮮はほぼ征服されました。
以下、関連の小説などで面白いのを列挙します。
小説ではないですが読みやすい新書で、考古学的見地から、
・白石典之『”蒼き狼”の実像』中公新書
チンギスハンの孫でありながら、本当に血を引いているかどうかわからなかったバトゥの物語、主に中近東から東欧を領土にしていました。
・小前亮『蒼き狼の血脈』文春文庫
異民族(契丹族)でありながらチンギスハンに仕えた天才宰相。
・陳舜臣『耶律楚材』集英社文庫
日本、特に現在の長崎・佐賀の人々から見た「元寇」。
・白石一郎『蒙古の槍』文春文庫
ついでに、専門書なので読みづらいですが、
・服部英雄『蒙古襲来』山川出版社
そして、元寇の際の前線基地となり、さんざん元に苦しめられた高麗のお話。もうどこまでいっても暗いです。
・井上靖『風濤』新潮文庫
で、ついでに元寇とは関係ないですが、朝鮮関係で。
この日本が散々に負けた戦いの裏にはこんなことが・・、小説家の想像ってすごいですね。でも、ほんとかも。
・荒山徹『白村江』PHP文芸文庫
で、最後に、これが決定版。フナツもまだ全部は読んでいないんです。宝物のような小説なので少しずつ、少しずつ味わっております。
・北方謙三『チンギス紀』集英社、全17巻

山本兼一『修羅走る 関ヶ原』集英社文庫(2016.2.24 tanakomo)

 

フナツの大好きな歴史小説です。

『利休にたずねよ』で直木賞をとった山本さん、2014年に57歳という若さで世を去った山本さんの最後の作品です。

ご存知の人も多いかと思いますが、「天下分け目の関ヶ原の戦」というのは、日本史最大級の規模(集まった人数、戦った武将や武士・足軽の数、死傷者の数、それぞれの陣地など)の合戦だったのですが、なんとわずか1日で終わったのです。

夜明けから昼過ぎまでの数時間だったんですね。

そこで何万人もの男達が殺し合い、傷つけあい、裏切り、裏切られ、といったドラマが繰り広げられていたにもかかわらず、数時間で終わって、その後の歴史を決めたのです。

数万人同士の戦いですよ!
想像するだけで一大スペクタクルです!

サッカーW杯で5万人くらいぎっしりつまったスタジアムがあるとして、その5万人が二手に別れて、スタジアム内で一斉に殺し合いを始めるような感じです。(ちょっと違うかも、ですが、まあ比喩です)

その男達のせめぎ合い、心理、刻々と変わる状況、戦況、それらを山本さんは次々にたくさんの登場人物に語らせ、彼らを動かすことによって描き出します。

解説で安倍龍太郎さんが指摘しているように、人物造形はありきたりです。

石田三成が理想に燃え義によって立つ、とか、徳川家康は臆病者で欲深であるとか、悪く言えばこれまでの歴史小説の中で手垢がついたような設定です。

しかし、そのありきたりな人物設定も、他のさまざまな登場人物を際立たせるためのテクニックじゃないかなと思わせるほどです。

『利休にたずねよ』で、山本さんが見せてくれた小説の技巧を知っている私たちには、三成と家康が描きたかったんじゃない、その他の武士、男達のことを山本さんは描きたかったんだなと思わされるのです。

みんなかっこいいんだ。

そして、これまでの関ヶ原を描いた小説と少々違うのが、主役も描けば脇役も描く、夜明け前から午後遅くまでの、ほんの数時間のみを克明に具体的に数多くの登場人物に語らせる、という手法ですね。

たとえば、この関ヶ原を描いた有名な作品に、司馬遼太郎『関ヶ原』があるわけですが、その作品にはこんなエピソードが描かれています。

明治になって、日本陸軍に外国人の教官(もちろん陸軍だからドイツ)、それもとびきり優秀な士官がやってくるわけですが、(この本の巻頭にもありますが)この関ヶ原における東軍/西軍の「布陣図」を見るなり「この戦いは西軍の勝ちだろう」と言ったということです。

そんな西軍がなぜ負けたのか、東軍はなぜ勝ったのか。
いろんな作家が、歴史家が、そして研究者がこの問いを発し、そして自著に書いています。それだけ関ヶ原は歴史小説の分野においては書くのが難しい題材でもあります。

それらを踏まえながら、あえて小説の中で解説のように書かずに、登場人物によって語らせる、行動させているところが山本さんのうまさです。

関ヶ原のことはよく知ってるよ、という歴女、歴男(←って言うのかな??)のみなさんにも堪能していただける作品だと思います。

読み終えた後に、題名の「修羅走る」がとても味わい深く思えます。

 

 

 

 

『幕末 開陽丸 徳川海軍最後の戦い』(2015.3.12 tanakomo)

 

「開陽丸」

江戸幕府が西洋列強に追いつこうと、その頃つきあいの深かった海洋大国オランダの造船所に発注した、最新の設備と威容を誇った大型軍艦です。

(本の紹介ということで、またいつものごとく長くなってしまいしたぁ、適当にスルーしてください〜)

しかし、完成してはるばる地球を半周して日本に戻ってみると、幕府海軍の正式旗艦になるどころか、その幕府自体が瓦解してしまうという悲劇に見舞われます。

開陽丸の日本到着は1867年、明治維新が1868年です。

その当時日本で最強の素晴らしい軍艦ながら、数奇な運命に弄ばれ、一度も本格的な戦闘を経験することもなく、冬の北の海、北海道は江差の沖に座礁してその寿命を終えるという、とても悲しい運命の軍艦なのです。

そのあたりの事情を書いていくと長くなるので手短に書きますが、幕末、西日本から東海道を勝ち進んできた薩長は当然引き渡しを要求します。旧幕府にはもうそれを止める力がありません。

江戸無血開城ということは武器を全て引き渡すということです。そしてその武器の中に軍艦も当然入る。

しかし、旧幕府軍の生き残りはぜひ開陽丸を使って薩長と戦いたい、最新鋭の軍艦であり、薩長には対抗できる海軍力がない。

しかし、艦長の榎本武揚は開陽丸という最強の武器を抑止力にして薩長に徳川家の穏便な処置を望みたいから、戦えば勝つとは思いながらも開陽丸を使って薩長と戦うわけにはいかない。

何せ、鳥羽伏見の戦いで負けた後、徹底抗戦と部下には言いながら、将軍の徳川慶喜は大阪城の裏口からこっそり逃げ出して江戸へ帰るために開陽丸に乗り込んだくらいですから、新政府軍に降参する、恭順すると言っている将軍のためにも、徳川家を存続させるためにも開陽丸で戦うわけにはいかない。

さらに徳川家の処置が決まった後も、薩長に従うのを潔しとしない武士たちを連れて北海道へ移住し独立を果たしたい、そのためにも開陽丸は無駄に使えない・・、そんなこんなで温存した挙句、嵐に遭遇して故障したり、最後は荒れる海で座礁したり、と、華々しい活躍もなく悲しい最後を遂げます。

ああ、どんどん書いてしまいます。
諸々飛ばします。

開陽丸に関しては、いろいろな作家の方々が描いており、評論も論文もいくつも書かれています。けっこう有名な軍艦なのですが、安倍龍太郎さんのこの著作は、主人公を艦長の榎本武揚ではなく、副艦長(後の艦長の)沢太郎左衛門(榎本と同じく江戸幕府派遣のオランダ留学生で砲術を学び開陽丸を日本へと回航してきた武士)と、その許嫁(これはフィクションか??)の視点から書いているのが斬新です。

そして、物語は昭和50年から始まります。

なぜ?
それは読んでのお楽しみ。

フナツは、博論で幕末や明治維新のことを調べざるを得ず、数え切れないほどの本や論文を読みましたが、それで教科書に載っている歴史に疑問を持つようになりました。

以前もここで書きましたが、歴史というのは常に勝者のものです。勝ったものが歴史を書ける。もっと言うなら勝ったものが歴史を自分たちの都合のいいように書き換えることができる。これは幕末・明治に限りません、世界中のどんな場所でも時期でも同じです。

なので、たとえば(たとえばですよ〜、ファンの方怒らずに!)司馬遼太郎さんの著作は大好きですが、フナツの中で「はたしてこの作品は歴史を描いているのか?」という点においてはかなり疑問符がつきます。あれは司馬さんが作り上げた史実風のフィクションですね。

「竜馬がゆく」「坂の上の雲」その他、作品としては大好きですが、いわゆる「司馬史観」(作家司馬遼太郎から見た歴史観)というものが少々鼻につきます。あまりにも薩長土肥の志士たちを持ち上げすぎです。

もっとはっきり書けば、今放映されている大河ドラマの「花燃ゆ」でしたっけ?これも疑問です。長州出身の某アベ首相の大のお気に入りというのもちょっと・・。

吉田松陰は素晴らしい思想家であり、幕末という時代における巨星であり、その思想は長州の若者を動かし、そして回天、明治へと時代を動かす原動力となります。幕末・明治における長州出身の志士たちの思想の原点を作った人でもあります。しかし、それは片側からの見方ともいえます。

著者は、上野は寛永寺(幕府の菩提寺であり現在の上野駅及び公園一体がすっぽり収まるくらいの敷地を誇る寺、彰義隊がこもって薩長軍と戦った寺)の座主輪王寺宮(伏見親王の第九子、いわゆる皇族)に語らせるという形で、主人公の沢太郎左衛門にこう語ります。(ちょっと引用が長くなりますが・・すいません)

***
「誰かが薩摩や長州の非道を正さなければ、この国の将来は危うくなるばかりです」
 彼らは尊皇攘夷をとなえて幕府を倒したが、今になってみれば攘夷は幕府を追い詰めるための方便に過ぎなかったことがはっきりとした。
 尊皇もそれと同じだろう。自らの政権を打ち立てるために朝廷を利用しているばかりで、やがては朝廷さえも意のままに牛耳ろうとするにちがいない。
 宮は淡々とした口調でそう語られた。
 「私は寛永寺にいた頃、吉田松陰という者の書物をいくらか読みました。長州の者たちがどんな考えを持って幕府を倒そうとしているのか知りたかったからです」
 太郎左衛門も吉田松陰の名は聞いたことがある。
 だがどんな説をとなえているかについては、まったく知らなかった。
 「読んでみて驚きました。松陰は欧米諸国と対抗するためには、王政復古をなしとげて国をひとつにし、富国強兵策をおし進めて朝鮮や清国の領土を取るべきだと説いています。(中略)しかし、このような無法な国家を作ることは、決して朝廷の伝統とはなじみません。それがなぜだかわかりますか」
 「いいえ、申しわけありませんが、私にはわかりません」
 「朝廷は古より、神々に礼を尽くすことでこの国の平安を保ってきました。元日の四方拝に始まり、大晦日の追儺に至るまで、すべての行事が神々にこの国の平安を願うためのものです。帝はその重責を果たすために、人にあらざるが如き厳しい戒律を守っておられます。このような朝廷のあり方と、海外出兵などという暴挙が相容れると思いますか」
 その言葉を聞きながら、太郎左衛門は目を開かれたような感動を覚えた。これまで漠然としていた新政府への不満や反感の本質を、掌をさすように言い当てられたからだ。(P.267~268)
***

こんな見方もありますよ、ということで・・。

で、また、この輪王寺宮、後の北白川宮能久親王(「きたしらかわのみやよしひさしんのう」と読みます)の生涯がまた波乱万丈なのですが、それはまた別の機会に語りたいと思います。

あ〜、すっかり脱線してしまいましたね。

この本は、そういった開陽丸他の旧幕府海軍艦隊及び乗組員を翻弄した歴史の荒波、そして実際に彼らが遭遇した嵐の様子、また当時の軍艦がどのようなものであったのかを描いています。

もちろん幕末モノですから、西郷吉之助(隆盛)や、勝麟太郎(海舟)も出てきますが、彼らは脇役です。

少々幕末の知識があれば、とてもおもしろいと思います。





『家康の子』(2014.8.8 tanakomo)

この小説の主人公、結城秀康はたくさんの歴史小説に出てきますし、史実にもたくさん残っている武将で、歴史上は「とても有名な」人です。

フナツもたくさんの歴史小説、時代小説の中でこの武将の名前を見たことがあります。この武将の生い立ち、その生涯、成した業績など、かなり詳しく知っています。

しかし、結城秀康を主人公にした小説はこれまでなかったのです。(あ、もちろんフナツが知らないだけかもしれませんが、著名なものはまずなかったといってもいいと思います)

なぜ、そんなに有名なのに(歴史上重要人物なのに)小説の主人公になってなかったかというと、いろんな理由はありますが・・、

おっとその前に、なぜそんなに有名なのか、について先に書きましょう。

まず、徳川家康という日本史上、超有名な人の子ども(次男)である。で、もう一人の超有名な人である、豊臣秀吉の養子になった人なんです。名前もそのものズバリ、秀吉の「秀」と家康の「康」ですよ。家康の子であり、同時に秀吉の子であるという・・・。

だから史実にはたくさんその名前は残っているんです。でもたいして活躍してないんじゃないかというイメージが残っているのは、いくつか理由があります。

まず、いいがかりをつけられて長男を切腹させざるを得なかった家康が(このエピソードに関してもいろいろ書きたいんですが・・・、だって長男ですよ!跡継ぎですよ!それをいくら同盟者である織田信長の命令だとしても、殺せって言われて、はいそうですか、って殺しますか?普通・・・)、2番目の息子である(つまり跡継ぎとして重要な)子どもをあっさりと秀吉に養子に出してしまう、これは家康が自分の子どもだと思ってなかったんじゃないか、もしくはまったく愛情がなかったんじゃないか、などと推測されているんですね。

つまり、どうでもいい子だったと・・。現に家康を継いで二代将軍に就いたのはみなさんも知っているように、三男の秀忠ですから。

そして、この結城秀康の子どもで、後を継いだ松平忠直(北関東の領地から越前へと領地が替わり、姓を松平と改めます)が、二代目のボンボンでこらえ性がなく、将軍秀忠に睨まれて流刑になったというマイナスポイント。

さらに、結城秀康は若くして死んでしまうのです。長く生きていればいろんな業績が後世に残ったかもしれません。で、もっと悪いイメージとしてその若くして死んだ死因が「唐瘡」(性病の一種である梅毒のことです)ではないかと言われていること。武将としてはちょっと情けない死に方だというイメージですね。

家康の子が秀吉の養子となり、徳川家と豊臣家の鎹となるべきだったのに、これもみなさんご存知のように徳川家は豊臣家を滅ぼしてしまいます。結城秀康はいった何をしていたのか(大坂の陣の頃はもう結城秀康が死んでたんですけどね・・)、などなど、あまり評価は高くないわけです。

しかし、(おお、やっと作品紹介に入れる・・)この小説ではそういったこれまでの結城秀康の評価を覆し、徳川のために命を投げ出した、慈愛溢れる武将として描いています。(死因はもちろん梅毒じゃない)

これがなかなか新鮮でした。
ふ〜ん、こういう見方、歴史解釈もあるのかと思いました。
なかなかいいんですよ、これが。

そして女性をちゃんと描いている。
作者が女性だってことが大きいのですが、独自の視点から、戦国時代の女性をこの作品の中で描いています。

特に、秀吉の母「お仲」(後の大政所)がいい味だしてます。
著者の植松さんは、作中でずっとお仲に名古屋弁で語らせています。これがとてもいいんです。

石田三成や大野治長、淀の方、などの、歴史小説お馴染みの面々も著者独自の解釈で登場します。

著者が女性であるところからくるのかもしれませんが、合戦の血なまぐさい描写もなく、家族の情愛を中心に描いた歴史小説として、こういう小説デビューしたい人にはぴったりかもしれません。

そしてラストの、父と子のエピソードは泣けました・・・。
(なかなかやるじゃん、植松さんって感じです)

あまり期待しないで読み始めましたが、お得感いっぱいって感じでした。

 

 

 

 

『新徴組』(2014.7.21tanakomo)

 

本の帯にはこうあります。

<「新撰組」には沖田総司が、「新徴組」には兄、林太郎がいた>

久々に歴史小説の紹介です。実におもしろかったっす。
なので長いです。歴史に興味がない人はスルーということで。

もう少し本の帯から、

「激動の幕末。義のためでも志のためでもなく、家族のために戦った男と新撰組と同じく浪士組に発し、戊辰戦争を庄内兵として戦った新徴組。知られざる英雄たちを描く幕末歴史小説の新たなる頂点」

いやいや、決してこの惹句は誇張ではありません。
フナツもたくさんの幕末関連の小説や史伝を読んできましたが、本当に新たな視点から新たな書き方をした小説といえます。

どちらかというと、ここでも紹介したことのある浅田次郎さんの新撰組三部作に近いテイストです。(どちらかというと無名の人々にフォーカスして、ちょいと人情モノっぽく、しかし史実に忠実で戦闘シーンもちゃんと書き込まれている、などなど)

さて、著者の佐藤賢一さんは、フランスの歴史小説(『王妃の離婚』『オクシタニア』『カエサルを撃て』など、ほかにもたくさん)で有名です。以前ここでは『女信長』(信長は実は女であったという小説)を紹介しました。(佐藤さんのフランスものはいずれここでたくさん書きますね)

そして、幕末の「新撰組」は有名ですが「新徴組」(「しんちょうぐみ」と読みます)は、ほとんど世に知られていません。フナツもこの本でようやく新徴組の全貌を知りました。

読み終わっての感想、「こういう組織もあったんだ・・新徴組もカッコいいぜ」。

さて、簡単に「新撰組」「新徴組」、そして「見廻組」の説明をします。

江戸末期、京都では倒幕、王政復古(天皇中心の政治形態へと戻すこと)に尊王攘夷(日本古来の伝統に固執し外国の侵略に対抗しようという動き)が合わさって、その先鋒となった長州藩と幕藩体制に不満を持つ全国の下級武士たちが糾合して、不穏な動きが頻発するようになります。

そしてそんな動きに乗せられるように徳川家の将軍が京都まで天皇に会いにくるという、これまでとは逆転した様相が出現します。

ああ、きちんと説明すると長くなりそうなので端折りますが、そういった京都の治安を守り、また京都まで行く将軍を警護するという名目で、幕府は腕自慢の人間を募集するわけですね。そして策士であり希代のアジテーターである清河八郎をリーダーとした「浪士組」が組織され、京都へ行くわけですが、そこで清河八郎が「この浪士組は幕府に仕えるものではなく、天皇の兵隊となる」とぶちあげて、それに不満を持った(当たり前ですよね、最初は将軍の警護という名目だったんだから・・)芹沢鴨・近藤勇以下数十人が京都に残り、新撰組を作ったのは有名な話です。

ちなみに、脱藩した武士やら郷士やら食い詰め浪人からやくざなどなど、素性のはっきりしない新撰組を嫌った幕府の人間が組織したのが、旗本や御家人の次男三男などを集めて作られた見廻組です。

そして清河八郎の私兵と化した残りの浪士組が江戸へ帰り、そして勝手なことをして幕府に睨まれた(これも当たり前)清河八郎が暗殺され、いろいろゴタゴタして、反幕府勢力が一掃された浪士組が新徴組と名前を変え、そして幕府預かりから庄内藩預かりとなります。

ああ、全然本の内容に入れない(ここまででもかなり省略があるのですが・・・)。

まあ、それやこれやで、会津藩預かりの新撰組と庄内藩預かり(「預かり」とは正規の藩士ではないが藩が雇用主としてその統括下にあるくらいの意味、しかし武士に準じたくらいの身分で羽振りは良かったらしい)の新徴組ということで、京都と江戸でやはり同じような市中見回りと取り締まりを仕事としていました。

しかし、この時代の市中見回りというのは、不逞浪士の取り締まりやそれに名を借りた強盗の捕縛等が主でしたが、そういう輩は当然抵抗しますので実際に戦いで命を落とすこともあったらしい。任務とはいえ人を殺すわけですから度胸はつきます。江戸の治安も守るために命を投げ出すということで、実際江戸の人々にも正義の味方として人気があったそうです。

そしてこの頃から始まった軍隊としての洋式訓練(フランス式)で新式銃も取り扱う。「大砲組」というこれも最新式の砲術訓練を受けた人間も新徴組に合流して、後の戊辰戦争でも大活躍することになります。

物語は、そんな新徴組の江戸での活躍と、その後の庄内藩とともに戦った戊辰戦争、そしてやむなく官軍に降伏せざるを得なかった庄内藩の悲劇までを、沖田林太郎(沖田総司の姉の婿、義理の兄)を狂言回しとして、ところどころに新撰組の近藤、土方を登場させ、さらに庄内藩の上役を天才児として配することによって、幕末から明治の世を、官軍側からではなく(つまり正史として薩長が作り上げた明治維新、私たちが教科書で習った明治維新とは違う視点で)歴史を生き生きと描くことに成功しています。

そして、やっぱり著者の佐藤さんも沖田総司のイメージは崩せなかったらしく、すごくカッコ良く描いています。信頼のおける史料によると沖田総司はそんなにカッコいい男ではなかったらしい。背が高くて剣の天才だったことは間違いないですが・・。

あと、あまりにも剣の天才であったがために戦いでは死ねずに病に冒された沖田総司がやはりとても切ないです。兄と弟の最後の別れのセリフが泣かせます。ここは多分佐藤さんも書くときに気合いが入ったんだろうなという感じです。

最後、薩長軍に降伏せざるを得なかったときの庄内藩のお殿様のセリフもカッコいいです。この二ヶ所、泣けました・・・・。

そして特筆すべきは、庄内藩士のカッコ良さと庄内藩の豊かさを描いたところです。

庄内藩士は、口は重いが(なにせいわゆるズーズー弁ですから)質実剛健、不言実行で男らしい。庄内藩は海の幸山の幸に恵まれ米も取れるし、貿易港酒田を領内に持ちお金に不自由もしない。庄内藩がすごく魅力的に描かれています。

庄内藩とは。現在の山形県の北、鶴岡市を中心としたあたりです。フナツはこの本を読んですごく庄内地方へ行きたくなりました。

庄内藩の城下町は現在鶴岡市となった鶴岡城です。今でも庄内空港とか庄内地方として名前が残っています。でもなぜ山形県なのでしょう?

そうですね。山形藩というのがあって、その藩は周辺の藩と一緒に速やかに薩長軍に降伏してその味方になったので、名前が残ったわけです。山形県になり、県庁所在地が山形市というわけですね。

元の国名と県庁所在地が昔の名前のままのところは、薩長軍にすぐに味方をした場所、旧国名や藩名、地名が残っていないのはいわゆる朝敵とされたところなんです。

みなさん、幕末で有名になった会津藩、最後まで薩長軍と戦ってかなり戦死者が多かった藩、明治になっても本州の北の端っこに追いやられてひどい目にあった会津藩ってどこにあったか知っていますか?会津藩は本当に薩長によって不当にひどい扱いを受けています。

福島県です。
そして今なお、東京に電力を供給する施設があったということでひどい目にあっていますね。

まあ、それはおいといて、

しかし、庄内藩がとても魅力的に書かれているのは理由もあるのです。

この本を読みながらフナツは「あ〜、確か著者の佐藤さんは東北大の大学院だったよなぁ」と思い出してました。で、本の裏表紙の佐藤賢一さんの略歴を見てみると・・・、そう、佐藤さんは鶴岡市生まれなんです。

やはり故郷は・・・、ですね。

東北地方は、上で述べたように、幕末に薩長によってそれまで争いのなかった地域に、官軍側/賊軍側という反目を植え付けられたという歴史があります。同盟を結んで結束して薩長と戦おうと口では言いながら、勢いで勝る薩長にやむなく降伏せざるを得ず、そのあげくに薩長軍に忠誠を尽くすために昨日までは同盟を結んでいた藩と戦うという残酷な運命に翻弄された地域も多いのです。そして、廃藩置県から県名変更を経て、旧藩の統括地域が分断され新しい県に統廃合されてしまったところも多いのです。

たとえば、岩手県のある地域は絶対に岩手新聞はとらないという・・・。

ああ、幕末から明治にかけての話はいろいろ長くなったり脱線したりしますね。

先日アップした朝倉あやちゃんも山形弁だったしなぁ・・、山形行くべし、かな。

 

 

 

 

『一刀斎夢録』(2013.9.30 tanakomo)

 

上手い作家というのは「見てきたような嘘をつく」と言われています。

おもしろい小説というのは、読み進めば進むほど、まさに眼前にその場面が展開されているように感じます。読み終わった後、現実に自分がその場に居合わせ、実際に見聞きしたような気になります。

ラスト直前の(この小説は週刊文春に連載されていたので、その連載回の番号だと思うのですが)74、そして75回目が・・、もう堪らないです・・・。

某大学の学食でこのあたりを読んでいたのですが、じんわりと溢れ出す涙をごまかすのにちょっと苦労しました。(慌てて左右を見渡して、メガネを拭くような仕草をしたりね・・)

やっぱり(いつもここに書いていますが)良い小説のラストを読む時間と場所はちゃんと決めて、そこでじっくり読むようにしないといけないです。

余韻をちゃんと楽しめるところでないとね・・。

もちろんこの作品だけ読んでも充分に楽しめますが、この作品は、浅田次郎さん描くところの「新撰組三部作」の3番目です。

すべてが史実に基づいているわけではないと思います。一行目にも書きましたが、小説家というのは「見てきたような嘘をつく」人たちですから・・。

しかし昨今、新撰組についてのさまざまな史料が発見され世に出ているので、かなりそういったものに基づいていると思われます。この小説を読めば、講談や芝居、いわゆる世に喧伝されている新撰組(ドラマや芝居では悪役のことが多いし、あまり賢くなかった集団、テロ集団のように思われています、でもってもっとフナツが好きじゃないのは、反対にかなり美化されている場合です)ではなく、リアルな新撰組を堪能できることは請け合いです。

そして三部作の他の作品、『壬生義士伝』そして『輪違屋糸里』を、ぜひ、合わせて読まれることをお勧めします。(壬生義士伝のことは以前ここにも書いたような気がしますが・・・)そうすれば相乗効果で何倍も楽しめます。

今さらながら、浅田さんってすごいなぁ・・・。

そしてもし、もしも、このブログのアップに惹かれてこれを読もうと思った人、この75回の終わりで一緒に叫んでください、「てぇつのぉすけぇー」と・・・。