『ローマ亡き後の地中海世界 2』(2014.9.8)
2、でございます。
「地中海の中央では夏季にはとくに、リベッチオと呼ばれる南西風と、ゼフィロと呼ぶ西風が支配的になるから」(11p)、現在のアルジェリア西部あたりから船出すれば南仏プロヴァンス地方や北イタリアのリグーリア地方に、アルジェリア東部やチュニジアから船出すればイタリア中部のトスカーナ地方やラツィオ地方、そして南イタリアに行き着くわけです。風が毎年海賊を運んでくるのです・・・。
しかし、いよいよキリスト教勢力の反撃が始まります。
本の裏表紙から、
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北アフリカ勢力を拠点とするサラセンの海賊に蹂躙されるイタリアの海洋都市国家。各国は襲撃を防ぎ、拉致された人々を解放すべく対策に乗り出し、次々と海軍が成立。二つの独立した国境なき救助団体も設立された。イスラム勢力下となっていたシチリアにはノルマンディ人が到来し、再制服。フランスとドイツを中心に十字軍も結成され、キリスト教勢力の反撃の狼煙が上がり始めた。
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イタリア人がイスラムの海賊を打ち払うにはやはりイタリア人自身が立ち上がるしかなかったのですね。
その頃強大になりつつあったフランスや神聖ローマ帝国(ドイツを中心とした地域)にとってはやはり他人事。そしてローマ法王も権力や財力はあっても兵力はない。
そこで立ち上がったのは交易で身を立てていた海洋国家、アマルフィ、ピサ、そしてジェノヴァです。(後にヴェネツィアも)
情報を集め、商船だけでなく軍船を整備し、海軍を作るわけですね。
そして、陸上の戦闘を得意とするサラセンの海賊を、海上で打ち破っていくのです。
サラセンの海賊は操船技術には長けていない、プラス組織立って動くのも得意じゃない、その弱点を衝いて徐々にキリスト教徒たちはサラセンの海賊を押し返していきます。
そこに、ローマ法王の檄に従って聖地を奪還しようという十字軍が始まるわけです。
この攻防がおもしろい。
また、北アフリカに拉致されている膨大な数の奴隷たちを、現地まで攻め込んで取り返すだけの力はまだキリスト教勢力にはないので、身代金を持参し交渉でなんとか取り返せる人だけでも取り返そうという動きが始まり、そのための団体が設立されるのです。
この団体の苦労たるや・・・、エピソードを読んでいても泣けてきます。
取り返すといっても武力ではまだまだ無理です。で、どうしたかというと、そもそも奴隷は金銭で売り買いされるわけですから、ヨーロッパで寄付を募り、そのお金を持って現地へ乗り込んで買い戻すということをしたわけです。
最初は成功しました。サラセン人たちもお金さえ払ってもらえば特に不満はないわけですから(奴隷なんていつでも他の新しいのを買えるし)、何百人かの奴隷を連れ帰ることができました。
しかし、そううまいことは続かない。
まず、お金だけとって「やっぱりやーめた」ということになってしまいます。なんせキリスト教徒にとっては敵地ですから、謀略で罪に問われて救出するはずが反対に自分たちも奴隷になってしまうという事態が発生します。
もっとひどいのは、サラセン人が海賊行為でもってキリスト教徒を拉致してくればまたその団体が買い戻してくれるわけですから、海賊行為自体がとても儲かるビジネスになってしまった。片方では売り渡し片方では拉致してくればずっと儲かるわけですから、いつまでたっても海賊そのものがなくならないという結果になってしまったのです。
この救出団体の苦労は長年続きます。いろいろあったのね、大変だったねとしか言いようがないです。
世界史の教科書には書いてない歴史ということでお勧めです。
また、3と4も書きますね。
『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍 1』(2014.9.8 tanakomo)
塩野七生さんの本のことはほとんどまだこのHPに書いてないような気がしますが、塩野さんの著作はどれも素晴らしいです。
塩野さんの著作の紹介を書くにあたって、『読書日記』の中のどのカテゴリーに書こうかと悩みましたが、結局カテゴリーの名前のほうを変えることにしました。以前の「時代/歴史小説」から「時代小説/歴史関係」に変えました。
塩野さんの本はほとんど持っています。あの有名な『ローマ人の物語』のことも書きたいし、一連のイタリア関連、特にヴェネツィア関連の著作もとてもいいので、ボチボチここに書いていこうと思います。
さて『ローマ亡き後の地中海世界』ですが、これがメチャおもしろいのです。
これを読んでいる皆さんも、古代ローマ帝国が4世紀の終わり頃に東ローマ帝国(ビザンチン帝国)と西ローマ帝国に分かれ、そして西ローマ帝国があっけなくゲルマンの侵攻によって滅びてしまったことはうっすらとでも覚えていると思います。
そして東ローマ帝国(ビザンチン)のほうはけっこう細々と生き残り、領土は縮小していってもオスマントルコに15世紀に攻め滅ばされるまで生きながらえていた、ということを世界史をやった人なら覚えているかもしれません。(フナツもこの本を読むまではその程度の知識でした)
しかしその実態は、広くヨーロッパ、特に地中海を取り巻く世界はどうなっていたということはあまり日本では知られてませんね。
ローマが終わったらすぐにインドや中国の話になって、そしてイスラムの国々のことになって、ヨーロッパの中世は暗かったみたいな話からいきなり十字軍の話になって、って感じで世界史(の授業が)がつながっていくので、5世紀から十字軍が始まる11世紀までのヨーロッパ中世がすっ飛ばされています。
さらに、ヨーロッパの中世というのはキリスト教の影響が強かったので「カノッサの屈辱」や「クレルモン公会議」なんていうエピソードを思い出す人も多いかもしれません。
しかし、そんな認識だけではこの中世という時代を語れない、これがこの本を読んだ実感でした。
この時代を一言で言うならば、まさにこの本の副題にもなっている「海賊、そして海軍」なのです。
ああ、また前置きが長いですね。
強大な、ゆえにローマ市民もしくは領土内に住む人々にすれば、税を納めそのメンバーとしての義務を果たさなくてはいけないかわりに、しっかりと領土そして人々の命や財産を守ってくれたローマ帝国亡き後、地中海世界はどうなったのか。はい、そろそろおわかりかと思います。乱れてしまったわけですね〜。
アラビア半島のメッカでマホメッドが生まれ布教を始めたのが西暦613年。予言者の死後はその後継者たるカリフが「右手に剣、左手にコーラン」で、アラビア半島のみならずパレスチナ、シリア、メソポタミアではササン朝ペルシアをも降し、トルコ、エジプトもイスラム化されます。そして北アフリカ全域からイベリア半島まで手中にします。
イスラム教徒にとって異教徒はイスラムの教えに改宗しないかぎり略奪の対象でしかないし、新興宗教のパワーと武力がひとつになって圧倒的なパワーでもって地中海の南半分、3分の2くらいを制覇してしまったわけです。
まあ、ここまでは歴史にはよくある話でもあります。この状態をなぞるだけなら誰でも史料さえあれば書けます。
しかし、ここから塩野さんの筆の冴えるところです。
(きっと)スゴい量の(明示されていないのでわかりませんが、たくさんのイタリアの史料を読み込んでいるはず)記録から、実はこの後イスラム教徒たちが行ったのは地中海の北半分の地域への「海賊」行為だったというわけです。
私たちがよく知っている海賊は(映画にもあるように)パイレーツカリビアンのようなスペイン・ポルトガルの船が世界の海で暴れたり、イギリスの海賊が女王から許可をもらって敵国の船を沈めたり、なんていうのですが、この時期のイスラム教徒、ほぼ北アフリカ全域のイスラムの人々「サラセン人」たちの海賊は、まずもって生計のため、農業や漁業の代わりになるような通常のお仕事になってしまったのです。
大船団を組むのではなく、スピード重視で少人数でシチリア島やイタリアの沿岸を荒らしまくる。お金を持っていそうな街を襲い、金目のものをかっさらい、人々を捕虜として連れて帰り、北アフリカで奴隷として売り払う。まさに狩猟に近い感覚で「海賊」行為を働くわけです。かなり儲かったそうです。
当然、北アフリカの人々は簡単に儲けられる職業としてみんなイタリア方面へ海賊に行くわけです。数年おきに行けば同じ場所でもまたお金はたまっているし人も増えている。男は労働(ガレー船の漕ぎ手)、女は商品、子どもも将来の商品ということで、北アフリカでは主な都市にはこういったさらわれてきたキリスト教徒を逃げ出さないようにしておくための「浴場」が多数あったとされています。古代ローマ帝国にあった広大な建物である「浴場」(映画「テルマエ・ロマエ」に出てきましたね)が奴隷収容所になっていたそうです。
もちろん、イタリア沿岸部の街でも自衛手段をとります。しかし悲しいかな地方の街での兵士の動員数などしれたものです。相手は歴戦のイスラムの兵士で戦うためだけにやってくる。たぶん迎え撃つ方は普段戦闘のための訓練を受けたことなどないお父さんたちです。相手にならない。
はい、最初にも書きました。強大な国というのはどういうことを意味するのか。
そうです。その国家の内側にいる人間にとっては「外の敵から守ってくれる」ということを意味します。
ローマ帝国崩壊後は、兵士を大量に組織して軍団を作り異国の敵から領土を防衛するということがなくなってしまったわけですね。
ビザンチン帝国の軍隊が防衛に来る時もあったそうですが、相手は神出鬼没、少人数(たかだか数百人レベル)での「ヒット・アンド・アウェイ」戦法、襲って金目のものだけ奪って人々を拉致して船ですぐさま逃げ帰る、決してそこを占領して居座るわけじゃない、というわけですから防衛軍も対処できない。
そのうち、独自に兵士を抱えている修道院や教会(この頃の教会はたくさんの財宝を所持しています)が襲われるようになり、一時はローマのヴァチカンでさえ攻められるなんてことが起きます。
ものすごい大量のキリスト教徒が北アフリカ全域で奴隷となっていたそうです。
ローマ法王が全ヨーロッパに檄を飛ばし、かつビザンチン帝国にも要請して、イタリアを守ろうとしたわけですが、みんな自分の領土さえ犯されなければ他がどうなろうとかまわない。さらに、ヨーロッパ内でもそれぞれは敵同士なので、連携してサラセン人たちに対応しようともしない。
そんなこんなでスペイン東部からフランス南部、イタリアの地中海の海岸線沿い、そしてギリシャに至るまで。それに地中海全域の島々が海賊に怯えながら生活することになります。
海賊から助かる唯一の手段としての「海賊船の襲来を一刻でも早めに見つけて、住民たちに逃げる時間を与える」ための物見の塔、広く海を見渡せる場所を選んで建てられた、イタリア語で「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)がイタリア全土に今なお残るそうです。
このトッレ・サラチェーノの写真が数十枚も巻末にあります。どれも美しいです・・・。でもその歴史は・・・。
中世はキリスト教に支配された「暗黒の時代」だったとよく言われ、またそれを否定する論文もたくさんあります。
<だが、少なくともイタリア半島とシチリアに住む人々にとっては暗黒以外の何ものでもなかったのが、彼らが生きた時代の「中世」なのであった。>(64~65p)
と塩野さんは書きます。
なんと、このサラセン人による海賊の略奪行為は、8世紀から、ヨーロッパ諸国、フランスや神聖ローマ帝国、また海洋国家としてのピサやジェノヴァ、後にヴェネツィアなどの勢力が強くなり始めた時期、十字軍が始まった時期である11世紀まで続くのです。300年から400年近く「とにかく逃げるしかない」っていう状況が何百年も続くなんて・・。じいちゃんのそのまたじいちゃんの、なんていうのより長い・・・。
まさに「暗黒の時代」ですね。
もちろん、塩野さんの筆はそんな状況を描きながらも淡々と、そしてすごくおもしろく読ませてくれます。